うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

41歳からの哲学 池田晶子 著


少し前に紹介した「女の好きな10の言葉」という本の中で、著者の中島義道氏が「哲学と女性の美醜」について語っていて、そのなかで美しき女性哲学者の代表例のように名前が出てきていた人物。読んでみたらトーンはたいへん中性的。わたしは叶恭子さんを哲学者と思っているのですが、言葉の力の色味や強さに似たものを感じ、どんどん読みたくなる。なにこの美人世界。
「日本人がこの国で、霊性のようなものの認識をあいまいにせずに、考えながら生きていくとはどういうことか」についての題材として社会問題をトピックにするのはかなりの技量。すごい。

他人にそれを要求したところで、生きるのは自分でしかない
(34ページ わかったようでわからない言葉──自己責任 より)

手帳に書き写しておきたい。



 人生の価値は、生活の安定や生命の保障にあると思っていると、そのこと自体で、人は萎えてくるように思う。倒産から脳梗塞まで、人生にはいろいろあるのが当たり前だからである。むろん、それはそれで本当に大変なことである。けれども、そんな大変なことどもを、どれだけ萎えずに生きていくことができたか、それこそが人生の価値なのだ。
そう思っていた方が、逆に生き易いような気がする。
(44ページ 昔はよかった?──景気 より)

最後の一文がいい。こういうやさしさが全体に溢れている。



 この世で生きるということは、体をもって生きるということである。体は自然だから、変化する、壊れる、やがてなくなる。健康とは、そういう自然の事柄に寄り添うというか、いやむしろ離れて見るというか、流れに逆らわず舵を取るような構えのことだろう。体は人生のお荷物だというのは逆、体は人生を渡るための舟なのである。
(112ページ 人生を渡るための舟──健康 より)

ウパニシャッドを日本語化するとこうなる、というような文章。



神や宇宙やあの世的な事柄を書いているために、信者が出て来ませんかと問われることが時々ある。しかし、そんな人は未だかつて、一人として出てこないのである。どころか、私の文章を読んで、正しくこれを理解した人は、必ず、信じることをやめる。やめて、そして「救われた」と言うのである。それなら私には、教祖としての資格は十分である。もしも信者が出て来たら、物書きとしての敗北だと、かねてより私は思い定めているのである。
(164ページ 信じてはいけません──宗教 より)

言葉の力を圧倒的に信じてる。


41歳を過ぎてもまだキョロキョロと寄りかかり先を探してしまう人にもおすすめなのだけど、そうならないために、30代で読んでおいたほうがよい本かもしれません。というか41歳以上は必ずや読んだほうがいい。時事ネタは昔のものだけど、いま読んでもまったく色あせていない。むしろビビッド。
たいへんおすすめです。

41歳からの哲学
41歳からの哲学
posted with amazlet at 15.09.13
池田 晶子
新潮社