うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヨガのポーズマニアには、誰でもなれる

「なりたい系の質問」というのを受ける機会がたまにあります。
「ヨガのインストラクターになりたい」という題材については、まえにキクシルというQ&Aサイトを題材にして書いたことがありますが、もう少し思いを分解して書きます。
質問というのは、質問者のなかにすでに仮説があったり具体的であればあるほど、経験と紐付けば答えやすいです。以前は要旨や背景のつかめない質問に対して「疲れるなぁ…」なんて思っていたのですが、瀬戸内寂聴さんをはじめとするハイスペックなQ&Aライブに何度か行ったら、だんだん無責任に楽しめるようになりました。


それまでのわたしはヘンにまじめなところがあって、「なりたい」と言われるとほんとうに「機会をつくれないものか」と考えていました。「やりたい」と言われたら、ご家庭まで行ってその家のパソコンを使って説明していました。
でも、そこまでしても、ひとりでは動き出さない人がほとんど。これはある程度対応数をこなし、リアルな行為を重ねなければわからなかったこと。この事実がわかって視点が変わってからは、かなりのことをスルーできるようになりました。
ここからやっと本題です。



 リストマニアには、誰でもなれる



これは文学系イベントのQ&Aで作家さんがおっしゃっていたこと(noteの方に書きました)。よく考えたら、そうなんですよね。これは「なりたい系の質問」全般にあてはまる。
本をたくさん読んでいても書く文章に魅力としてあらわれてこなかったり、ひとつひとつの持ち物はいいものなのにオシャレな感じがしなかったり、ヨガのアーサナがいろいろできても他人のボディで気づきを導くことができなかったり。
ここには、「なりたい」「やりたい」と人に言うことへの「ためらい」があるかないかが、大きく関係しているように思います。


大切に歩みをすすめていきたいことほど、かんたんに人に話したりはできないもの。
ためらいなく「なりたい系の質問」をするかたは、その「やりたいこと」に対して、まだ本気で恋をなさっていないのでは? と、わたくし思うのですが、いかがでしょう。
(語尾が叶恭子さん風になるのは、たまに出る病気です。ご容赦くださいませね)