うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

あなたは、なぜ、つながれないのか 高石宏輔 著


この本を読みながら何度も「あなたは、わたしか」という小さなつぶやきが浮かぶ。こんなに引き込まれる内面の吐露が、これまでにあっただろうか。そんな気持ちで読み終えました。
言葉や文章に塩分濃度のようなものがあるとしたら、体液に近い配分で書かれた言葉という感覚。わたしは毎日鼻うがいをするのですが、日々カンで入れている塩の加減が今日の体調に合う塩分濃度になったときのような、そういう心地よさ。
冒頭からいきなり、もうそこは考えるとしんどいから麻痺させてしまおうとする癖がついている「いつもの、あの場所のかさぶた」をぺろんと剥がされる。

人は、自らの欲望に従ってしか他人に対して働きかけることができないのだろうか。(プロローグ より)

「だって、そうでしょ」というユダヤ人の知恵みたいなやり方では、どこかさびしい。そう、わたしは実際そこにさびしさを感じているのだ。という自分に向き合うきっかけを与えられた。



わたしも、この著者さんと同じように、人と離れることがよくある。

 そのような会話を続ければ続けるほど、聞き手となった僕は彼らと会いたくなくなるということを、その人たちは気づかなかったのかもしれない。僕はそれが嫌なことを彼らに言い出せず、連絡がきても返事をせずに、突然関係を絶つことが多かった。
 それが嫌だということを、僕はそのようにしか表現できなかったのだった。
(第2章 僕はコミュニケーションが苦手だった / 3.自分の話ばかりされる より)

わたしも、断つことでしか表現できないことが多い。



1年半まえに、「悪口の受け止めかた」というのを書いたけど、以下の箇所を読んで、そのときのことを思い出した。

 愚痴をどう聞いてあげようとか、どう聞き流そうかと考えているうちはどうにもならない。自分の都合の良いように事実を脚色して「自分は悪くない」と愚痴を言っている人間が本当は何を考え、何を隠しているか。それが見えたときに、どうすればいいかが分かる。
(第2章 僕はコミュニケーションが苦手だった / 5.愚痴を言われ続ける より)

「目の前の人が、何を隠しているか」が見えてしまうと疲れるのだけど、そのことによって、わたしはまだ日本的な性善説にとらわれていると感じます。夏目漱石の小説「虞美人草」を読んだら、自分を縛っているものが見えてきました。



レーニングと人間のコミュニケーションについての考察も、鋭い。

 逃避のためのトレーニングは最早トレーニングではなく、自分の思い込みを助長させる自慰行為になりかねない。
 トレーニングをしながら、日々の自分の動きを見直していると、普段のコミュニケーションに「大切な本番としての重み」をもたせることができる。
(第4章 同調がわかるとコミュニケーションが変わる / 5.ただし、トレーニングはトレーニングでしかない より)

ヨガを愛好していることを雑誌で語っていたタレントが暴力事件を起こしたときに、トレーニングのおそろしさを感じたことがある。それと似ている。


思った通りの感覚を引き起こしてもらおうと他人任せに期待していると、期待通りのことが起きなかったことを残念に思ったり、酷いときには怒ったりしてしまう。そのときには、はじめに期待した感覚にしか意識が向けられていない。そうなると、それとは別に自分の中に生まれている感覚に気がつけなくなってしまう。
(第5章 自分自身で変化を生み出すシステム / 2.新しい感覚が生まれるのを待つ より)

「自分の中に生まれている感覚に気がつけなくなってしまう」という視点は、『医者と薬を遠ざける「ふくらはぎ」習慣 小池弘人 著』で指摘されていた事項とよく似ていて、わたしが日々思うことでもあった。


 世の中はアドバイスを受けたい人々、アドバイスをしたい人々で溢れている。誰かの言う通りにやってうまくいったら楽だし、自分の言う通りに誰かがやってうまくいったら自分の考えの正しさが証明されて心地よい。どちらにとってもメリットがあるからそれでも良いと思う人もいるかもしれない。
 しかし、アドバイスは新しい感覚を自ら芽生えさせるのを阻害することもある。
(第5章 自分自身で変化を生み出すシステム / 12.与えられることによって停滞することもある より)

ブログにポエムみたいな文章を書くマインドには、こういう傾向があると思う。読む人を思わせぶりな表現で弄ぶような文章は、なにかそれをしのぐ気持ちよさのようなものがないと、出せないものだと思う。



そして、いちばん沁みたのは、第8章。

 自信のない人間、自分を弱いと思っている人間の強さを侮ってはいけない。
 彼らはその弱さを使って他人を誘導することに長けている。

(中略)

 自信のない人はそうやって周囲に適応している。そして、また周囲はさらに彼らにアドバイスをしたり、褒めたりして、彼らを他人に依存する人間にしている。こうした環境の中で彼らの自信のなさが育まれているのだということを見損ねてはいけない。
(第8章 人の話を聴くということ / 12.褒めることの弊害 より)

究極弱っているときは、言葉が出ない。わたしは弱さを口にできる人を見ると、「強いなぁ」と思ったりする。


この本には、とにかく鋭い警告が多い。そのぶん、あえて冗長化したともいえそうな構成がよい。
きれいごとではすまないことを、なぜか読ませる文章で綴っている、ふしぎな魅力と魔力に溢れてる。多くの人が読むことで、健康な人が増えると思う。いい本です。



(追記:2020年に再読しました)
uchikoyoga.hatenablog.com