うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

差別感情の哲学 中島義道 著


2009年の本が、今年の2月に講談社学術文庫版から出ています。
この文庫版あとがきは2014年に書かれているのですが、

「日本人として誇りに思う」という発言は、そうでない国の人々に対する優越感を含意してしまっている。

とありました。
わたしは新書のタイトルでよく見る「日本人として誇り」みたいなフレーズは、「僕たち、バカじゃないもん!」という意味ととらえていたので、シンプルな見かたに立ち返らせてもらうことがありました。差別感情への日々の思いが語られるエッセイのような調子なので、自己批判のありかたのバリエーションを広げてくれます。読中読後の感覚が『「キモさ」の解剖室 春日武彦 著』に近い。


以下は、まったくほんとうに、そうだよなぁと思う。

差別感情を扱うさいに最も大切な要件は「自己批判精神」であるように思う。いかなる優れた理論も実践も、もしそれが自己批判精神の欠如したものであれば、無条件に自分を正しいとするものであれば、さしあたり顔を背けていいであろう。(27ページ)



 哲学は救いを与えることはできない。社会を直接変えることもできない。だが、差別について差別感情について、自己批判精神と繊細な精神をもって、考え続け、語り続けることはできる。このことによって、場合によって、人々の因習的・非反省的態度を変えさせることはできよう。因習的・非反省的態度の虜になっている人々を解放することはできよう。(28ページ)



子供は言葉を学ぶとき、同時にその社会の価値意識を学ぶのであり、快・不快の対象を学ぶのである。とすれば、言葉教育の仕方によって、差別感情をかなり希薄化できるという展望は開かれる。(40ページ)

感じることと意識があって、それを他人と共有するために「言葉」が生まれる。常に目の前の他人をマウントしようとしていないか、という問いが重要だ、ということをこの本は何度も語ってくれます。



言葉は人を傷つけることが「できる」ものである。場合によっては、人を絶望に落としいれ、殺すことさえ「できる」ものである。それを誤魔化しなく見ることがまず必要である。その上で、各自がどのようにして過度に他人から危害を受けることならびに過度に他人に危害を与えることを避けうるか、しかも自分の誠実性を決定的に破壊せずに、こうした問いがわれわれに突きつけられているのだ。(184ページ)

「しかも自分の誠実性を決定的に破壊せずに」というのが、どれだけむずかしいことか。わたしは、夏目漱石の「こころ」は、このむずかしさを伝えるための物語だと思う。




この本は、こういうメッセージが苦手な人は読まないほうがいいかな、と思います。

友情も恋愛も家族愛も……それを妬み破壊しようとする敵がいてこそ大切な絆なのである。(14ページ)


他人に嫌われたくないという願望が極端に強い人は、反省すべきであろう。それは何の美徳でもなく、ただ人間として幼いのであり、寧ろ社会的に果てしなく害毒を流す。人間とは理不尽に他人を嫌うものであり、それを呑み込まねば生きて行けない。(77ページ)

わたしは、お金で得られるすべてのものに対して疑いなく "否定しないサービス" を求める人に、「人間とは、理不尽に他人を嫌うものじゃない前提でヨロシク!」という強引さを感じます。

運動のヨガから哲学方面へ向かう気分とヒーリング方面へ向かう気分の境界が、ぼんやり見えた気がしました。