うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

自然農という生き方 いのちの道を、たんたんと 川口由一×辻信一(対談形式)


前半は旧来の考えから抜けられない農業の人への批判的な気持ちの表明があって、よくある文化祭的な自然至上主義かと思って読みすすめたら、ぜんぜん違った。前半はここはあくまで「当時」の気持ちを語っているだけ。後半でグイグイ引き込まれた。
対談形式で、インタビュアーが何度も「するほうがいいとお考えですか?」という語調で問いかけたり、インタビュアー自身が行っている活動にシンクロさせるような誘導をするのだけど、一度もそのトラップにおちない。でも、インタビュアーの主張も否定しない。
川口氏のコメントは「正しいことをしている」という気持ちの危険性を知り抜いている人の語りだった。

なかでも、139ページにあった

自分が相手を「引っぱっている」という自覚は大事です。私の「治め方」の問題です。自分でしっかり立っているあり方と、依存したあり方があります。(中略)依存した自分のあり方は、相手を情で引っぱっています。

という語りの前後は、いまどきここまで鋭く語る人をあまり見ない。
要約すると、主体性を持っていのちを語れ、ということでもある。



<68ページ 土はいのちたちの歴史 の章での、川口氏コメント部分>
実って得られるエネルギーから、持ち込むエネルギーを差し引くと、マイナスになる。それが自然界生命界に限りなく多くの返済不可能の負債を増やし続けています。自然農とは、そうした問題を決して起さない、持続永続を可能ならしめる栽培の仕方です。

たいへんシンプル。




「専業でやるレベルの智恵と能力を身につけることはなかなか大変」という川口氏に対し、インタビュアーの辻氏が「でも、そんなことを言っていたら、なかなか自然農が広まらず、世の中変わりませんよね?」と返す後のやりとりが、すごくいい。
(以下115ページ「自分の主になる」より)

川:でも、意識は変わります。農業に就かなくても、それぞれの分野での仕事を通じて、その意識が伝わっていけばいいのです。そうすることで「いのちの道」を得る人々が増えていくことになります。
辻:そうか、目覚めた人たちにどんどん自然農を実践させて、早く広めていこう、という発想も、一種の効率主義なんでしょうね。
川:それだと、ぼくが自然農の教祖になりかねないあり方でもありますね。よくないことであり危ないことです。

無常と変化を否定することの危険性、思考停止してラクになることを正当化しようとするねじれを鋭く指摘する。



<164ページ 若者よ、答えはきみのなかにある の章での、川口氏コメント部分>
これ以上に壊さなければいい。これ以上に多様性を損ねるようなことをしなければいい。損ねられることから離れればいいのです。修復する必要がないのが自然界です。人が行う修復は、新たな問題を招き、片寄り、人間本位の狭いものになりがちです。

人間が定義する範囲を考えろということでもある。


わたしは「知っていましたか。こんな現状」とか「より良い○○」というスローガンで活動することに対してはいつも「そのエネルギーがどこからわいてくるのか」と懐疑的に見ることが多いし、「そこは人が決めるところだろうか」とか、「その国の歴史を知らないわたしが賛同するというのは、あまりにも怠惰すぎやしないか」などと考える。
「いいこと」の定義の恐ろしさも美しさも見られる体力はいつも備えておきたい。あらためてその重要さを思う機会を得ました。