関西のギーター読書会で解説が svadharma に及んだときに「そう! わたし、この svadharma が知りたくて……。これさえわかれば、と思うんです。ヨガの先生に聞いても "観察するしかありません" といわれて……」という質問を受けて、わたしの回答もその先生の回答と同じではあるのですが、そのときにちょっとおもしろい経験について話したので、文章化しますね。
まずスヴァダルマの説明。
これは
sva=おのずからなる性質 dharma=義務、法
です。
「生来の義務」「本性のありさま・ありよう」使われる文脈によってそれぞれ意味があります。ギーターを材料にするとどうしても武士カーストの義務の説明が必要になるのですが、この質問の流れでは後者(本性のありよう)のニュアンスが強かったので、ここでは楽しく脱線して日常に近いところまで落とし込みました。
svadharma に向き合うために瞑想などがあるのがヨーガなわけですが、日本で日々リアルライフを存分にやっているうちこちゃんは、旅先でちょっとおもしろい経験をしたことがありますよ。思いがけず、自分の本性を「夢」で知ってしまいました。そのときのことは、前に夢日記の話として「夢日記。プロデューサーと編集者とわたし」というタイトルでブログに書きました。今日はそのひとつを分解して説明します。
先のブログで
知人が設定する待ち合わせ場所が、いちいち相手の拠点に近い。相手の話を聞きながら「とはいえ、帰る先がジャカルタなので最後は無理って断ることになる」と認識している。
と書いたものを例にします。図解すると、こんな感じです。
旅行中の身というのは不思議なもので、「いまボディはインドネシアにある」という意識を持ったまま、日本でやりとりをしている夢を見ました。関東の地名がわからない人にはわかりにくいのですが、要するにわたしは「なんで相手の拠点に近い浦和へ出向かなければいけないのか」ということに不満があったようなのです。
ようなのです、というのは、これまた自分をいい人に見せたいエゴです。寛容で融通のきく人格を演出しているのです。そのために、実生活ではあまり気にしないようにしていたのです。「この知人は仕事も子育てもして忙しいだろうし」なんて理由をつけて。
でもこの夢の中でのわたしは、「うん」と言っても「ことわる」理由を明確に持っていて、「またかよ」くらいの気持ちでかなり突き放したスタンスでいます。このあとさらにこの知人が「やっぱり川越にしよう」と言い出して「あんたの家より遠くへ呼びつけるのかよ!」と心の中で突っ込んでいるのですが、突っ込みつつも「ほんとはいまジャカルタに居るんだけどね〜」と、かなり余裕なのです。
これをさらに文章化しようとしたときに「ハッ」としました。
「○○さんが浦和を指定した」と書けばいいところを
「○○さんがまたわざわざ浦和を指定してきた」と書いていたのです。
「また」「わざわざ」
これか、と思いました。
- わたしも暇なわけではないのに、この人のなかでは毎回自分が優先される前提になっているのか
- もっと自然に中間地点を提案しようとする気にならないものか
と思っている本性がわかってきました。もうこのあとはネガティブなモーハー(妄想)のオンパレードですわそりゃ。
旅行中に同じ構造の夢を立て続けにいくつか見ました。リアルボディは偉大な遺跡を見たり刺激的な文化に触れたりしていても、意識はいつも、時空を超えて引き戻される。つまらないしがらみが旅先までついてきたことにうんざりしつつ、これはありがたいしるしでもありました。
あらためて「これはひどい」と思ったので、帰国後その夢に出てきた人間関係の慢性的なストレスを改善するために生活や行動パターンをガラリと変えたら、そこに人間関係を許容するスペースができたのか、あらたな出会いが増えていきました。
「それはただの本音というやつでは」という話ですが、ふだん不満や本音を認識していても、頭の中であれこれポジティブにコーティングしようとして、このようにナマナマしくは掘り下げられないものです。パターン化することで発酵したまま寝かせてしまう本音は、どこかで清算しないとホンモノの svadharma になってしまいそう。わたしは、カルマ(行為ではなく業のほう。ヨーガよりも仏教的な用法でのカルマね)というのは、ものっすごい小さいつぶつぶだと思っているんです。微細体というやつです。
この夢に従った経験からそんなことを思い、読書会で話してみたら、けっこううなずかれた。
このときの質問者さんは「まずは日記からはじめてみます!」とのこと。いいですね。これこそ「いいね!」ですよ。
日記は、見たことそのものを書こうとしても、つい文中に「なぜか」とか「急に」などの言葉を挟もうとします。あなたの中のあなたが、ですよ。ミニ・ユーがなんか入れてくるんですよ! この瞬間に本音や本性が出ます。
わたしも日々こうして文章を書くことで、浅いところにある svadharma を探っているところがあります。さっきの「ようなのです」が、まさにそれです。緑色の字のところですよ。
そんなこんなで、書くことはほんとうにおすすめよ。