うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

娘の学校 なだいなだ 著


「世界は、思索する人たちにとっては一つの喜劇であるが、感情にかられる人たちにとっては、一つの悲劇である。」というメッセージからはじまる、なだ校長先生が4人の娘向けに語りかける11回の授業。



目次

  • 校長訓示
  • 調子はずれ音楽教室
  • 指導にならないと言われそうな読書教室
  • 作家になることを思いとどまらすための文学教室
  • 若者と年寄りのための政治教室
  • 憂いを増させるための人生論教室
  • 穴居人的心情を求めての人類学教室
  • ヒューマニズムと非条理の教室
  • ニキビと落書きの教室
  • 観念的な性教育教室
  • ノーベル賞のことわり方を考える作家教室
  • 健康を鼻にかけさせぬための狂気論教室

どの授業も赤べこなみにうなずきながら読みました。
ちょこっとずつ紹介します。



「調子はずれ音楽教室」より
私が、お前たちに言いたかったのは、人種の差別がくだらんことのように、音楽をクラシックとジャズなどと差別してはならぬということだ。音楽ばかりではない。文学も同じだ。


(中略)


お前たちが見わけねばならぬのは、何が創造的であり、何がそうでないか、ということだけである。

ええことおっしゃる。



「指導にならないと言われそうな読書教室」より>

 人間は、探しもとめる気持があって、はじめて、めぐりあいを感じる。だからこそ、どんな本を読むべきか、などと人に聞くようであったら、めぐりあいを得ることができないのだ。大切なのは、考えること、思索することだ。


(中略)


 考えることを忘れ、ただたくさんの本を読むだけだったら、利用者の来ない博物館のような人間になる。情熱に動かされ、情熱に導かれない読書は、単なる博学の人間を作るだけだ。

本は友だち。ほんとうに、めぐり会うものだと思います。



「作家になることを思いとどまらすための文学教室」より

人間は、情熱にかられて、その迷路にさそいこまれる。そもそも、この情熱というのがくせものだ。人生という、何をしてもいい、ひろびろとした世界で、人間に自由を失わせ、一つのことや一つの人間にしばりつけるもの、つまり迷路の壁のように一つの道に誘いこませるものは、この情熱というやつの姿を変えたものだ。

哲学教室ですね。



「若者と年寄りのための政治教室」より

ブルータスのような、徳性高き人物の中にも、暗殺肯定の精神は眠っている。
「ブルータス、お前もか」
 は、そうした人間の心の背景に、ひびいて来る言葉だ。


(中略)


 われわれが、カシアス的な暗殺者を裁くのは、やさしい。むずかしいのは、ブルータス的暗殺者だ。

親鸞もこういう思索をしたんだろうなぁ。



「憂いを増させるための人生論教室」より

 お前たちも、出来たら、お前たちに今起こっている出来ごとを、それだけで判断し、意味をつけ、悲しい出来事とか、嬉しい事件だとか、よかったとか、悪かったとか、言わぬようにするがいい。

ここにいたる流れも含めて必読な授業。



「観念的な性教育教室」より

話しておきたいということは、性は自然とともにあったのだが、人間が社会を作った時、性をめぐる呪縛によって、道徳というものが、生まれたことだ。道徳という言葉は、天のきめた掟のように言われるが、天の掟は自然であり、自然をしばる、天をしばるものが、道徳で、それ故に道徳は社会のうつり変りによって変るが、変らぬのは自然の掟の方だということである。このことは、しばしば、世の中で、さかさまに教えられている。


(中略)



 人間が平和な社会生活をいとなんでいても、その底に、性に結びついた暴力的なものがあることは、否定できない。だが、人間は、その暴力を、なぐり合いで示さず、形式の中にルールによってとじこめた。スポーツなんてものは、人間の暴力的エネルギーを形式化したものにすぎない。

ほんと、いいかげん気づこうよといまのわたしは思うけれども、きっかけがないと気づかない。そういうものですね。この本は、こういう日常のなかで折り合えない思いを話せる友だちのような、そういう存在。



ノーベル賞のことわり方を考える作家教室」より

このノーベル文学賞受賞で、自分のことのように大喜びした人間たちは、他人の功績を、他人の名誉を、自分のものにすりかえる巧妙な手品師たちである。
 これで、日本文学も、世界文学へ仲間入りした、と言った文壇の長老がいた。こんな言い方は、受賞した本人に向って、「あんた一人でもらった気持にならんでくれ」とイヤミを言っているような気がしてならない。考えてみると、非常に失礼な発言だ。しかし、これが日本的と呼ばれる習慣、ものの考え方なのであろう。


(中略)


こうして、名誉の周囲には、本人になんらかのゆかりのある人間が、自分もこの名誉になんらかのつながりがありますよ、ということを示さんがために、顔を出そうとするのだ。

日本人の黒魔術の種明かし。この話の前に、実物の川端康成を見かけたエピソードがあるのもおもしろい。




最後の「健康を鼻にかけさせぬための狂気論教室」は、ついFacebookでキラキラな生活をアピールしたくなったり、幅広い知人ネットワークを数字で積みたくなったり、有名組織の人脈を誇りたくなってしまう人は必読。
フランスで学んだ精神科医の先生が、フランス人の奥様との間に生れた4人娘に話をしていく体裁なので、フランスの哲学的なムードが全体に漂っています。さまざまなエピソードが出てきますが、「禁止することを禁止する」という、パリの気質は素敵だと思いました。
この本は、あとがきの最後の一行がこんな言葉で締めくくられています。

 私は、読者が、この本に書かれたことを知ることよりも、その「やさしいことを書くのと、やさしく書くことのちがい」を、この本を通して、知ってもらいたいと思う。


なだいなださんの本はここでも何冊か紹介してきましたが、この本も名作。
やさしさをもらう代わりに手渡すものは、自由。
そんなことを日々思いながら暮らしている人には、手放せない一冊になるでしょう。
なにげないお話の中に、重大なメッセージが詰まっています。


娘の学校 (中公文庫 A 14)
なだ いなだ
中央公論新社
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