牧之通りのある塩沢から、少し山のほうへ入っていく場所にある曹洞宗のお寺です。「平安時代中期、恵心僧都源信により創設」だそうで、これはなにげにすごいですよね。比叡山でロックな主張を始めたあの源信さん(「往生要集」書いた人)ですよ。キャー☆
ここは行ってみたらかなりのネイチャー・スポットで、自然のエネルギーがモリモリしていました。
ここにある小林源太郎作品は、雲蝶さんと一緒に栃尾の秋葉三尺坊大権現を手がける前の作品だそうです、きっと鋭い作品があるのだろうな、と思って行ったのですが、中にはとても繊細でユーモラスな作品がたくさん収められていました。このお寺の場所の雰囲気がそうさせたのでしょうか。
なんというか、宮崎駿映画に出てきそうな、自然がわくわくしながら共生している感じがする場所です。
わたしが独断でグッド・デザイン賞をあげたいカメヤマローソクのベンチもある!
入り口の人、練習しすぎ。ろっ骨の下が鶏団子鍋状態。
乳首がお花になってるのもポイント。鎌倉時代の作品らしいのですが、すでに叶姉妹を超えてます。
お話が彫られています。右の亀の首と、人間たちの表情がすごくいい。
雲蝶さんの亀は足で語るけど、源太郎さんの亀は首で語る。
波はうねりとカールをそれぞれシンボル化して重ねたような構図になっています。
ここのお寺へ来て、源太郎さんの抜き芸のすごさをしみじみ感じました。籠の表現は「青木酒造」へ行くと至近距離で見ることができます。
このお寺の欄間は全般抜きのスペースが多くとられていて、「抜き」と「シンボル化」のバランスを見るのが楽しい。人間の表情もバリエーションが多い。
ここへ来て気づいたのは、源太郎さんは細い紐のようなラインを使うのが好きみたい、ということ。
女性の彫り方を見ると、雲蝶さんのほうがエロジジイだったのだろうなと思う。
源太郎さんの作品に観られる、のび太くんが走って足が車になっちゃったような、龍と獅子のような子たち。
同じ精密でユーモアのある仏教彫刻であっても、雲蝶さん=アラレちゃん、源太郎さん=ドラゴンボールのような違いがある。雲蝶さんのほうがおふざけフォルムやありえない動きが多いのだけど、源太郎さんのほうがセリフが見えてきそうな雰囲気がある。
「なんじゃこりゃ!」というインパクトは雲蝶さんのほうがあるのだけど、源太郎さんの抜き芸には「すげー! どうなっちゃってんのこれ!」という楽しみがある。まあ要するにすごいんです、この人たち。有名じゃないのが不思議すぎる新潟名産です。
事前に電話したほうがいいみたいで、電話したら「おめさん長岡からくんのか。ほーいおいでおいで」みたいなユルい返事が。で、行ったら小学生のお孫さんが案内してくれた(笑)。中の作品のすごさと受け入れのユルさのギャップが過去最高でした。
(電話の記載のある案内サイトはこちら)
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●新潟県で小林源太郎の彫刻作品をめぐる