うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

神経のこと、脳のこと

以前紹介した「解剖学的女性論」は、女のヒステリーについて思いっきり突っ込んで書かれています。不快な人がいるであろう反面、やっぱりお医者さん作家の書くことはおもしろい。

気が変わりやすく、憂うつそうにしているかと思うと、すぐに興奮しだしたり、記憶力の低下を訴えたり、一方で、めまい、どうき、耳鳴り、発汗、顔の火照り、頭ののぼせ、などの種々雑多な症状(医学的にはこれを不定愁訴という)を訴えるのは、この自律神経、なかんずく交感神経の過敏状態の結果にほかならない。
 したがってこれらの症状は、彼女らが我儘でやっていたり、相手を困らせようとして意識的にしているのではなく、ホルモン失調 ── 自律神経の過敏、というそれなりの理由により起きていた、生理的な症状である。(「更年期、その神経学的特徴」より)

女性の心は不安定です。男だってそうだよ、といったらそうですが、やっぱり独特の不安定さがある。
そこでヨガはいいのか? もしかして逆効果になっていないか? と思うこともあります。



この本のなかにあったことが、わたしの経験からの考察を示してくれていました。神経についてのほとんどは、渡辺淳一先生の記述の引用です。178ページ「更年期、その神経学的特徴」の章を項目立ててつぎはぎする形で書きます。

■運動神経と自律神経
 神経は大きく分けて、自分の意思通りに体を動かす(随意運動という)動物性機能を支配する神経系と、植物性機能、すなわち胃腸などの消化器、心臓や血管系、汗腺や唾液腺、各種の内分泌腺や生殖器など、生体の生活に欠くことのできない器官の機能を、促進させたり、抑制させたりする調節をおこなう神経系がある。こちらは脳の支配を受けないで自動的な活動をしているところから自律という名前がつけられ、総称して自律神経と呼ばれている。


■自律神経内の交感神経と副交感神経
自律神経は、さらに交感神経と副交感神経との二つに分けられ、互いに対立的に働きながら前進の機能の調節をおこなう。


■交感神経
交感神経が刺戟されると心拍数(心臓の鼓動)は増加するが、胃腸の運動は抑制されたり(お腹が空かず、食欲減退)、脈博が増加し、血管は萎縮し、手足は冷たくなり、脳は貧血になる。また血圧が上り、瞳孔が開き感覚器官が鋭敏になる。この状態はアドレナリンという注射をうった時とよく似た症状である。


■副交感神経
副交感神経は交感神経に抑制的に働き、独走するのを止める歯止めの役をしている。

副交感神経については記述が少なかったので、経験談を補足します。わたしは以前、副交感神経がうまく働かなくなったことがあります。当時働いていたビルのエレベーターの空調がとても強く、夏に乗ると数秒間でお腹が冷え、一度ほんとうに「事故」(大きいほうのお漏らし)を起こしそうになりました。以後、エレベーターに乗る少し前、自動ドアを通る前、というように前倒しのタイミングから毛穴が開いたり閉じたりするようになりました。腸の不調にひっぱられて冷えているのだと思い込んでいたので、その時お医者さんに「副交感神経」と言われて、「腸の問題ではなく神経なの?」と、そういうことを意識するようになりました。
いま思うと、気持ちに左右されることを抑制したり、トイレのない状況への恐怖に呑まれず自然な状態を保つための機能が低下していた、ということなのかもしれません。




ヨガ目線でいったんここまでのことを、Wikipediaで調べたことを含めてまとめると、

  • アーサナの上達は、運動系の神経。
  • これをさらに分解すると、「錐体路」「錐体外路性運動系」の二つに分かれる。
  • バランスや滑らかな動きを司るのは、後者の「錐体外路性運動系」。

滑らかにいけるときもあれば、どうにも動きがグイグイしている、ということがある。
「滑らかな動き」で登場するのが「呼吸との連動」です。どこかで息を止めてエイヤッ、どっこいしょっ!とやることもあるのですが、この「滑らかさ」を意識しないと、アドレナリンが出ちゃう。



ここで、アドレナリンです。交感神経の話につながります。ここからは、思いっきり持論です。男女問わずの話です。
ヨガのアーサナのなかでもわりとパワフルで上昇志向な状況は、アドレナリンと仲良しなのでしょう。良くも悪くも気持ちよく麻痺していく。ヨガと洗脳、ドラッグの歴史がわりと密接だったりするのは、こことの接点にあると思っています。
アーサナのなかには、それぞれに「ああ、こういう働きがあるな」というのがあって、それは何回もやっていくことでわかってくるのですが、たまにその延長線上にある「怖さ」も想像します。わたしはそれを想像するようになってから、「副交感神経の役割を気持ちが覆い潰さないように」と意識するようになりました。グイグイ行けば、まあやれるだろうな。でも、やらない。ある程度のところまでで、経緯や滑らかさを重視するヨガのスタイルに変えました。
「これエスカレートすると、なんかよくないことになったりするんだろうなー」と思っていたことが、渡辺先生の本の記述で腹落ちしたのでした。



さらにここからは、久しぶりに沖先生の話題です。
沖先生は、著作のなかで「脳」について触れているものがけっこうあります。新皮質と古皮質のことについて書かれています。(「冥想ヨガ入門  解脱・悟り・三昧 / 179ページ (6)脳の働きと腹力」にある古層・新層についての記述がおもしろい)
大脳皮質自体、脳の高次機能の役割を持っていて、随意運動のほかに知覚、思考、推理、記憶をコントロールする。古い新しいの話でいうと、古皮質は個体の初期から見られる。両生類から。新皮質は哺乳類から出現する。
ヨガがもたらす効用については、ライフハック的な興味よりも「いいから、やってみ。続けてみ」ということを重視したくて、わたしはあまりここで書かないようにしています。「新層開発まっしぐら」なきっかけだと、横から聞こえてくるものにも洗脳されやすいからね。
アーサナをすると、身体が読めるようになってきます。その身体のはたらきのひとつとして、感情がある。それをコントロールできるかできないかというのは、長い道のりなのだろうと思います。わたしはやっと「さわり」が読めるようになってきたかなぁ。これは不思議なもので、人生経験という教材との併読で相互作用的に読力があがってくるようなのです。なので、「能力開発だ。瞑想だ。マントラだ」というのは「効用確認ありきの手段」で、日常へのお役立ち度が低いように思います。



沖正弘先生は、ヨガがこんなにいいよと多角的に伝えながら、古皮質をコントロールすることで「社会になじむことができる個体としての力」について言いたかったのではないかと思います。潜在意識についての野口晴哉先生の教えを読むと、その影響を強く受けていた沖先生の思いが見えてくる。
新皮質に影響するヨガと、古皮質までアプローチするかもしれないヨガを観察する。身体の中でいちばんかわいくておバカさんで正直な「末端」を刺激するパワンムクターサナをしっかりやる。ただ、じーっと、地味にやるだけ。
そういうなかで、だれかの不安定な言動も、「身体の神秘。あすは我が身」という気持ちで見ています。