うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

解剖学的女性論 渡辺淳一 著

昭和52年の本です。今じゃ出せないと思う。ベースは女体論なのだけど、比較で男体も出てくる。
かなり踏み込んだ内容にそこから発生する心のはたらきまでみっちりと書かれています。情報化社会になればなるほど書かれところに切り込んでいる。
わたしはあまり小説を読まないので渡辺淳一さんのことは「失楽園」や「うたかた」を書いた小説家さんであることしか知らず、もともとお医者さんであったことをこの本で知りました。このおそろしく経験に基づいた、ここまでの視点をもった上での小説ということであれば、ちょっと読んでみようかという気になりました。
今日は評論家さんによる解説の部分からまず引用紹介します。

<巻末の解説より>
氏がこの本において指摘してみせている女性の病根は、もう一歩すすんで考えれば女性が知らず知らず自分を冒してきた文明病にほかならない。


(中略)


思春期に立つ女性から更年期を迎えた女性にいたるまで、この本を読んで慰め、励まされぬ女性はいまい。


(中略)


私はこの本を一個の女性論というよりも、人間論、人生論、幸福論、さらには現代文明批判の書として読んだ。人それぞれの立場において味読しうるところに『解剖学的女性論』と題するこの本の面白さ、意義がある、といってよいのではないか。

この、文明病という指摘に対しては「まったくもって」としかいいようがありません。わたしはこの本を読んで、自分の知らなかった女体についてを知りました。もう、文明脳に身体が侵されている。



ここから、本編への感想。引用とともに。

<23ページ 一カ所、女性の泣き所 より>
強いところ、それがそのまま女性の弱点にもつながる。
 強いところは体の変革まで起こしうるホルモン系列である。ということはホルモン系列を乱してやれば、女性はいちばんの困るということである。彼女等の行動はたちまち支離滅裂となる。
 性を知りすぎた女から性を遠去ける。悦びを知り始めた女性へそれらをちらつかせるだけで満足を与えない。性を知らない女性へ逆に激しい性の衝撃を加える。
 これらの仕打ちをうけた時、女性はたちまち変調をきたし、脆さを露呈する。現在病院にくる女性のうち、肩凝り、神経痛、立ちくらみ、耳鳴り、いらいら、不眠、食欲不振、といった、いわゆる不定愁訴を訴えにくる者の八十パーセントは、大なり小なりこの種の失調が原因である。

いわゆる奇行的な場面をいろいろ考えると、そうなんだろうな。

<78ページ 結婚における男女の差異 より>
 まことに男性は、性愛において女性とは随分違った性である。
 男性の性の悦びは性交という肉体的事実よりも、むしろそれをとりまく精神的事実の方がはるかに大きい。男にとって性感そのものはたいしたものではなく、それより性交に至る過程、すなわち未知なるものを知る探険心とか、征服欲といったものの方がはるかに大きい。
 だからその時の性感よりも、その時に彼女はどう逆らい、どう応えたかといったことのほうを男性はよく憶えている。
 男性の性交は、つまるところ、自分の行為が相手にいかに効果的であるか、いかに影響力をもっているかということを確認する作業でしかない。従ってその悦びは、それが相手の女性に対して際立って効果的であると知ったときにのみ、感じとることができる。
 これに反し、女性は素直に性感そのものの悦びに浸ることができる。相手がいいか悪いか、そんなことは構っていない。自分がよければそれでいいのだ。


(中略)


これを食事にたとえれば、女性は空腹だから食べるのに、男性は腹は空いていないが栄養があると言うので食べているくらいの違いがある。
 女性にこんな美味しいパンをどうして食べないの、と言われても男には率直に食べる気にはなれない。女は食べない男を不思議な人だと思うだけである。

ヨガへの取り組み方の男女の違いにも同じことが言えそうです。自分の身体を自分で攻略しにいく男性を見ていると、「ひとりデート」みたいで。でも最近は女性にもそういう人が増えてきたように思います。
わたしもそれっぽいところがあるのですが、容器は女性なもんですから、完全にはそうならないようです。

<140ページ 神経症的幼児性 より>
このなかでもとくに重要な、必ず存在する症状は、内省的ですべてに劣等感をもちやすい「自己不確実」と、すべてに理想をもち人生の欲望の強い「完全癖」と、一見矛盾した二つの性格が存在することである。
 一般に、われわれが「神経質な人」というように使う時は、ここで示した定義ほど厳格な意味ではなく、単に気難しいとか、前頁で書いたように感じやすい、ナイーブな、それゆえに傷つきやすい、といった意味に理解しているが、それらの根本は、この自己不確実と完全癖の二つだということができる。

体癖のことを思い浮かべて読みました。6種の問題と似ています。

<145ページ 神経症的幼児性 より>
 現代のように性に未熟な青年の多い状態ではこのような女性を導くだけの、忍耐力と能力を持っている男性は少いようである。それだけこれら「こどもおんな」にとってさらに不幸な時代だと言わねばならないかもしれない。

男性には「俺色に染めるぜ」という気概をもって頑張ってほしい。染める染めないの話になると女性の経験や純粋性の話になりそうですけれども、そういう話ではなく、そういう話なのであっても「完全に上書きするぜ」と。男性が年上の超年の差カップルとか、なんかわかるんだよなぁ。そうなっちゃうよなぁ、と。

<164ページ 女の嘘・症例その一 より>
 男は「武士の一言」というように、一つの言葉に意味をもたせる。一旦、口から出た言葉に責任を持つ。もし言ったことを守れなかったら、嘘をついたことになる。
 嘘とは、相手に言ったことを変更することであり、それが自分にとって正直であるかどうか、ということはあまり関係がない。それよりも相手にとって嘘になるかどうか、ということによって判断する。
 あくまで精神的、かつ外向性である。
 これに反して、女の嘘は自分に対して正直か否かによって定まる。自分の、それも生理に対してである。

男性の男性に対する忠誠心を見て、「なんか変だよなぁ」と思うことがよくあるのですが、そうか、自分が女性だからか。

<167ページ 女の嘘・症例その二 より>
 ともかく、女性はその生活、知識等の程度にかかわらず、一般的に頭より全身で感じるフィーリングのほうを重視する傾向があることは否定しがたい。それに較べて男は頭で考えた理屈一点張りで攻めてくる。変節とか、心変りが理解できない。

そこが男性のかわいいところでもあったりしますけど、でもヨガにすっと入ってくるのは女性のほうが多い。やっぱりそうなんだよなぁ。わたしは両方を行ったり来たりしている男性をみると、いいヨガしますわね、と思います。


この本を読んで、「この世の平和は男性の包容力にかかっている」と思いました。
そしてつくづく、「汚れ」にあんなにうるさいインドで「カーマスートラ」があるというのはうまくできたものだと思いました。
女性はもっとこう、自分の性に素直にならないといけませんね。このブログをつい読んでしまう女性は自分のなかにオッサンを飼っている人が多いのだと思うのですが、それは文明病だといわれたら、本当にそうなんだと思います。
なんというか、いま読むと、分析してる場合じゃないと反省させられる一冊でした。寺や神社にばかり行ってないで、デートせにゃいかん。
まずは縁結びの神社へ行かなくちゃ(けっきょく神社)。

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