笑えるエッセイでした。前に読んだことのある「怪談徒然草」「心霊づきあい」よりもギャグ満載。しっかりした知識背景と昭和センスがないと出てこないノリのボケばかり。
前編は神仏の基礎知識を楽しく学べます。後半は神仏探訪記なのですが、とくに神社が興味深かった。
この本は、いま平清盛を見ている人におすすめです。ちょいちょい、小ネタにその時代が取り上げられています。
今の大河ドラマは視聴率的にはアレらしいですが、あの時代を描こうと思ったときに、諸説のどこを拾ってくるかという視点で見ていると「よくこんな、子供と一緒に見られない要素を好んで紡ぐもんだ」と感心しちゃう。まだまだ神仏と政治ががっぷりで、禅というパラレル側道が発達する前の時代。千利休や沢庵和尚がほどよくNHKにふさわしい教訓ムードを醸し出してくれる時代以前の、ナマナマしさ最高潮の時代。そこを、「ここは神道、ここは仏教」なんて視点で楽しみながら見ています。
この本は「学校ではぶっちゃけベースでこんなふうには話してもらえなかった神仏のあれこれ」という感じで、ためにもなります。濃い知識が背景にありながら、話すように書くからには、という徹しかた。
歴史の話ですから、それぞれにフォーカスしたら諸説あるから言い切ったところでどこかから「そうではないという説もある」というのが出てくるもの。わたしも好きな分野については好きな説に肩入れして書いているので、こういう割り切りは好きです。
わたしの場合はインド方面から仏教に近寄っていったので、神道についてはそんなによくわかっていない。なので、この本はすごくためになりました。加門先生に感謝。
おもしろかったところ、ためになったところをいくつか紹介します。
<「神や仏の酒池肉林の巻」より>
噂によると、この件(春日祭のお食事)に関して、昔僧侶がクレームをつけたことがあるという。が、お坊さんが「肉食はやめなさいってば」と諏訪の神サマに言ったところ、神サマ、「儂(わし)に食べられて、こいつらは天上界へ行けるのじゃ」と言い切ったという話である。
鋭い切り返しである。さすが、神。
ネ申のとんちはたまらんね。
<「お空の神々の巻」より>
太陽神が女で月の神サマが男というのは、世界の神話を眺めた場合、かなり特異な例らしい。
(中略)
けれども日本人は天体としては、太陽よりも月が好きである。
(中略)
清少納言の時代には「星は昴」とか言って、星を愛でているけれど、日本神話の中においては、星は嫌われていたらしい。
(中略)
つまり月も嫌い、星も嫌いと、古代日本人は夜の時間が、大っ嫌いだったということになる。
これが大逆転を起こすのは、大陸から道教が流れこんできてからだ。
(中略)
舶来好きの日本人が、月星大好きな舶来宗教 ── 道教にハマって、それ以来、日本人は夜が好きになる。
七夕・天の川・北斗七星……。そんなのにロマンを感じちゃうのは、みんな道教の影響だ。
そういえば、そうねぇ。たしかに! ほんとだ! へぇ〜、と、楽しく学べる。
<「祟るんですの巻 その二」より>
神仏分離令が下される以前は、お寺と神社は一緒に建ってた。社僧といって、神社に所属しながらも仏事を行った僧侶もいたのだ。それが個別の存在になり、神社は一般人のケアのため、神道葬を開発した。片や仏教は、仏式結婚のマニュアルを作成。神前結婚自体、大正期からのものなので(その前までは、みんな自宅で式を挙げていたんだヨ)、ここ百年ばかり、神仏は人のための冠婚葬祭儀式作りにあくせくしていたことになる。ご苦労さま……と言っておきましょう。
明治元年以前以後の歴史を少しでも学んでおくだけで、無駄にありがたがることがなくなる。その上で、いろんなドロドロや民衆の発想を想像して楽しむのが、神仏探訪の醍醐味だと思います。だいごあじ。
後半は、「うわさの現場」という探訪記。これがおもしろかった。メモを兼ねて紹介します。
<「古の神々に逢いに ── 伊勢・熊野」より>
(「伊勢の参拝には順序がある」そうで)
「その道順をここに記すと、まず二見興玉神社でお祓い(=禊)をし、次に天孫系の神々を伊勢に迎えた、道づけの神様を祀る猿田彦神社に行って祈願、それから外宮・内宮と参拝をしていくというものだ。
(中略)
トピックスは玉置神社。耳慣れない方もいるであろうが、ここは熊野の奥宮と噂も高い場所なのだ。そして大峰山系の修験道の拠点でもある。神仏マニア必見の地だ。
神社はあんまり行かないのですが、いつか縁があるかもしれないのでメモ。
<「島流し体験ツアー ── 隠岐」より>
ここは流刑地。暗くて悲しい流人の悲哀はどこにあるのだ。
首を傾げる私の耳に、こんな噂が入ってきた。
「隠岐に流された後鳥羽上皇、蹴鞠してたらしいっすよ」
「ここで趣味の刀鍛冶もしてたんだって」
「篁サマは現地妻、三人も抱えていたんだってさ」
ち、ちょっと待ってえぇっ!
違うんじゃないか? ここは悲しい流刑地でしょ。いくら気候が温暖で、魚やイカがおいしくたって、そんなノホホンと暮らしていいのかっ!
怒る私に明かされた真実はつまり ── こうだった。
この島に流された罪人に、佐渡島のような苦役はなかった。彼らはここで仕事を見つけて。一生暮らせば良かったのである。しかも隠岐に流されたのは、政治犯がほとんどだ。昔の政治犯なんて、貴族と相場が決まっている。そんなハイソな人々が都会から離れた場所に行ったら、それだけで土地の名士になれる。
そうだと思うんですよね。
越後育ちなのでいろいろ想像が絵で浮かぶのですが、佐渡は子どもながらに妙な雰囲気の場所が多いと感じた。海の中の生き物の生命力も、なんかヘンな感じがするくらいだった。
親鸞さんが流されてきてくれた糸魚川も馴染み深い土地ですが、そこんとこはわたしも、「だって魚うまいもんここ。そりゃぁ食うって」と思っていたものです。あと、なんというか、海のところは人の手でも握ってないと気持ちがおちそうな、そういう雰囲気がある。「砂の器」や「高校教師」が思い浮かぶ。
引用しなかったけど、「いま選ぶならこれを七福神としたい」の話もおもしろかった。最初に「通信の神」として韋駄天があがっている。これはわたしも大賛成。
このほか、以下の点を個人的なおもしろメモとして共有しておきます。(いつか行くかも)
- 平清盛は荼枳尼天信仰だった。ヨーギニーと同じといわれたりするダーキニーさん。
- 崇徳上皇は自ら誓って天狗になった。(比喩ではなく、まんま天狗ね)
- 和気清麻呂と道鏡の逸話って、濃いのねぇ。
- 東京深川の法乗院の閻魔大王おみくじ、やってみたい。
- 東京中野の哲学堂公園、行ってみたい。
- 比叡山の元三大師堂(横川)、行ってみたい。
自分セレクトだと行く場所が偏りがちなので、すごくいい探訪提案がいっぱいの一冊でした。