越後のミケランジェロ・シリーズです。永林寺のあとに西福寺へ行ってきました。
この禅寺も、すごかった。しかもこのお寺のウェブサイトはすごくて、パノラマ画像でその細かい彫刻を追うことができます。これはすごい。さらに実物は、もっと、とんでもなくすごいよ。
言葉ではどうにも言い表せないスケール。
おそろしく細密で、構図にユーモアがあって、とにかくノリとセンスがハンパない人だったのだと思う。
なかでも、正面にあった「道元禅師が写経をしている場面の文机の奥行きの彫り方」にシビれた。
石川雲蝶のかっこよすぎる人生も、このお寺の説明がなかなか詳しくてよい。
サマりますと
- 1814年、江戸の雑司が谷生まれ。
- 32歳のとき、三条本成寺の世話役であった内山又巌氏の依頼を受け、越後三条へとやって来て、本成寺に数々の彫刻を制作。
- その後、三条を拠点に近隣で制作活動をしているうち、内山氏の世話で、三条の酒井家の婿となる。
- その頃、開山堂の建立を計画していた当寺の大龍和尚様が雲蝶のうわさを聞々つけて、魚沼に招き入れる(雲蝶39歳・和尚33歳)。
- 開山堂は、嘉永5年(1852)起工、安政4年(1857)落成
- プライベートでも長女、長男をもうける。
- 開山堂の大作を機に、あちこちから依頼がかかり、雲蝶は越後の名匠に。
- 雲蝶の住いが三条大火(明治13年)で全焼。本成寺も明治26年の火災で雲蝶の作品や記録を焼失。
- 大龍和尚は63歳亡。雲蝶はその9ヵ月後に70歳亡。
詳しくはこちら(西福寺のサイト)。
気が狂っているとしか思えないほどの手仕事に、茫然自失。
みなさんも、そうなることでしょう。
上越新幹線を浦佐駅で降りて、そこからタクシーで10分です。
ゴールデン・ウィークのお出かけの予定が決まっていない方は、ぜひ。
【おまけ】
近くの「八海山 泉ビール苑」の地ビールもおすすめです。
ここでお寺の思い出を振り返っていたら、お店の人に「今日は雪の照り返しで(彫刻が)よく見えたでしょ」と言われて話が弾みました。
八海山のまわりは、お酒だけじゃない。自然と芸術も楽しめる場所です。
▼このほかの写真や記録のインデックス
●新潟県で石川雲蝶の彫刻作品をめぐる