最近調べ物をしてふとこのシリーズに出会った。ものすごく数の多いロング連載で、途中の目次から読んでいる。
山田ズーニーさんの小論文教室。ちょっとユーザーインターフェースがわかりにくいのだけど、下のほうに目次があって、たまたま見つけた記事から読んでいるあたりがちょうど2002年ごろのもの。これがいま、妙にグッとくる。
きっかけとしてぶつかったのは「アイドルを探せ」という記事で、「おっかける」という心理について調べものをしていたときでした。
ブログをお休みして研究に没頭していたころ、友達に「あなたが更新しないから、こんなコメントがこっちにきた」という連絡があって、それは当然こちらとしては「知らない人」なのだけど、「なんでだろう」というのを分解してみようと思っていたら、この「アイドルを探せ」というトピックに出会って、「ああ、なるほどな」と思った。
その文章の中には、ズーニーさんがあこがれる人に対しての気持ちを振り返って
弟子としてその人のノウハウを学びたいわけでも、
ましてや、恋人になりたいわけでも
結婚したいわけでもなかった。自分が、その人になりたかったのだ。
とあった。
おっかけたって、心配したってしょうがないことをなんでするのかというのはわからなくもないのだけど、あまり深く考えなかったのは、自分には「そういう種類の "あこがれ"」の感情がないからだったんだなぁ。ということに、この記事で気がついた。
子供のころは、そういうのがあった。それを、思い出した。西遊記のマチャアキの孫悟空になりたかった。ものすごく機敏に動きたかった。かっこよく立ち振る舞いたかった。猿になってもいいのかということまでは、まったく考えていなかった(笑)。
大人になってからは、「こうなりたい」ではなく「こういう信念で生きていた人がいる」という「支え」のような存在の人のことを「あこがれ」といっていたのだということにも気がついた。ここによく登場する空海さんや沖先生や、佐保田先生、野口先生だ。みんな、もう亡くなっている。
ズーニーさんの記事は、こういうことを気づかせてくれる。
なかでも、いま苦しんでいる友人に贈りたいのは、この記事のリンクだ。
『「ちゃんと読めよ!」の落とし穴』
書かない人にはわからないかもしれない。
いやだろうけど、わかるけど、
相手の読解力に頼るより、自分の読解力に頼る方が確実だ。
ここがとってもヨガ的で、「もはやカルマ論」とすら思う。
わたしは自分の文章をその人がその人なりに受け取って、こちらからしてみると「神経症的」と思うようなコメントと感じられたとき、以前は「読解力」を相手に求めるようなところがあったのだけど、いつからか「この人がいま執着していたり、信じているものが、なにかあるんだろうな」と思うようになった。そして、「自身の執着に気づくきっかけになったとその人が思うか思わないかまでは、自分にはコントロールのしようがないことだ」という、ごく当たり前のことに、いい年になって気づいた。
「ああこの人は、いまこれを信じることで、生きられるんだ」
と思うこと。みとめること。
見ようによっては「なげやり」と思われるかもしれないけれど、「信じるものを奪うこと」は、誰にもできない。
恋をしたことがあれば、誰だって、わかるんじゃないかしら。
「パーマネント野ばら」をすてきな本だと思ったのは、まさにここ。
「正しいことはなにか」
という議論は、背景に「有限性への考え方」があると感じる。
「限りあるものを、どうするのが正しいか」という後ろ盾がないと、成り立たないと思うから。
いつからか、あまり悩まなくなった。
どうやったらそういうふうになったのかというのは、いろいろなきっかけがあったと思うのだけど、ひとついえることは
「永続性への考え方が圧倒的に違う人々のなかで過ごした」
という経験が影響していると思う。平たくいうと「輪廻思想」です。
同じようにインドを旅しても、こういう「きっかけ」があるかないかはインド人のせいではなく自分の中で起こることで、たぶんきっかけのようなことはたいがい同じようにあって、そこは正直、個人差が出るところだと思う。
「二度と来るかこんな国」と思う人の気持ちも、わからなくはないから。(以前そんなことを書きました)
学ぶ力や考える力というのはやっぱり「生命力」に裏打ちされるもので、「運がいいとか悪いとか」とは違う土台がある気がします。
なんてことを、自分とはまた違った立ち位置で書かれている読み物は、実におもしろい。
ほかには、「信頼関係はどうつくられる?」もおもしろかったです。
ちなみに、さっき「運」について書いたけど
運がいいとか悪いとか
人はときどき 口にするけど
そういうことって たしかにあると
あなたを見てて そう思う
これは、さだまさしさんの「無縁坂」という歌の歌詞です。
これもまた、いい歌詞だなぁと思う。
「寄り添うということ」について、教えてくれる。
「心底はみとめないけど、寄り添う」
こういうことができることで、「人間に生まれたこと」に感謝できるような、
そういう毎日は、きっとすてきだと思う。