うちこのヨガ日記

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12種の体癖を奇数と偶数で現代的に分析してみた

体癖
野口整体の体癖は体型でも見分けるポイントがあるのだけど、今日は性格・性癖のほうにフォーカスして書きます。
体癖の話は、正直そこに「勘どころ」や「オタク的な分析スタミナ」や「数学的なサマリー、アベレージ計算力」のようなものがないと、わかりにくいと思う。
とりあえず、書きますね。


1〜10までの体癖のうち


 奇数:大きく、上にバイアスをかける(グイグイ・誇張傾向)
 偶数:小さく、下にバイアスをかける(謙虚風味・甘え傾向)


やすきよ」と覚えるとわかりやすいかもしれない。
やすきよは聖者よぉ


体癖については、野口晴哉先生の本と合わせて、先日紹介した長谷川光洋先生の「身体均整の科学」にある12種の分類を見ている。ほぼ呼応している。
どちらも

  • 両足の体重を前後に分けて、(合計)四分割した計測結果とあわせて考察している。
  • 11種と12種は10種までの分類では見極められず、観察しても1〜10種までに当てはめられない場合、このどちらかと見る「ジョーカー的」な種類。
  • 野口整体では、顔の大きさでいえば11種は小さく、12種は大きいという。11種は肩に力が入らず、12種は肩に力が入る、ともある。
  • 最初にあげた奇数=大・上バイアス、偶数=小・下バイアスでいうと、ここは「いっけん」逆転している。


以下、「身体均整の科学」にある分類の「性癖」から、1〜10種までについて。
昔すぎる言葉は現代っぽい言い方に書き換えました。

奇数の性癖説明に出てくるキーワード:
空想、感情的、希望的、快活、理由もなくイライラ、歯をくいしばる、強情、我慢体質、勝ち負けに敏感、闘争型、執拗、理知に富む、活動家、自利的、本能的、操縦術のうまい人に騙される、味よりも栄養価や量で食べる、居眠り

前半と最後のふたつに注目。

偶数の性癖説明に出てくるキーワード:
嫉妬、ふてくされる、おっくうがり、受け身、ノイローゼ的、心配性、反発心、むら、細心臆病、几帳面、信じないと動けない、利害よりも名誉を優先、迷い型、我意強い、決断力が乏しいのに強がり、恐怖に敏感、外強内怖、気忙しい、お人よし、世話好き、雑だが手早い、散漫、迷信の虜になりやすい、量よりも味で食べる、二度寝

奇数と比べてみて。とくに最後のふたつ。



11種と12種については、ざっくりと陰陽対比感のある上の分類とは切り分けて紹介します。

■11種

  • 他人が示した方向になら動ける内向型
  • にえきらない
  • 誘惑の虜になりやすい

いっけん偶数っぽいでしょ。

■12種

  • 自発的にしか行動できない
  • 他人のやることに三者的になれない
  • 人の行動がじれったい
  • 融通がきかない
  • あとで意味がわかって怖さに怯えたりする

いっけん奇数っぽいよね。



11種と12種は、奇数偶数の「やすきよ原理」からは逆説的のように見えながらも、よく読んでみると

  • 11種の「他人が示した方向になら動ける」と「操縦術のうまい人には騙される」は呼応している。
  • 12種はどの項目も「信じないと動けない」「迷信の虜になりやすい」に呼応しており、信じたグルがGOサインを出したら「がぜん行動的になれちゃう」という発進トリガーのコントラストの存在が感じられる。

信じるまでのハードルが高いところが、10種までのようにスパっと分類できないところなんですね。
やすきよ原理」なのだけど、一回ねじれてるからわかりにくいだけなんですね。
ねじれは「信じるか」ね。これでだいぶ自分の中で消化してきたことがすっきりした。
奇数同士のブレンド、偶数同士のブレンドの人はすごく多いので、うちこは奇数偶数までは見当がつくのだけど、11種と12種の逆説的なところの「謎」が気になっていた。それが、この二つの説をあわせ見ることで、点と点が線になった。



・・・と、
ここまでで、読んでいる人は自分はどちらかというと、どっちかな、と思いながら読んでいますよね。


体型でも見分ける方法が明示されているけど、現代社会はデジタル・ツールの導入や車の運転の習慣の有無で神経の使い方に差があると感じます。食べ物とファッションの多様化で、身体の成長のプロセスが生まれながらの本来のもの(先天的なもの)に対して、後天的要素の構成比が昭和40年代〜60年代よりも増えていると思う。なので、個人的には体型よりも性癖のほうに分析の比重をおいています。
あとは、文章分析とボキャブラリー分析。これは、個人がその長短や形式はともあれ、文章で行動を示す場面が増えた、現代のソーシャルメディア社会ならではの見方。
ツール特性に対する理解なんかも見ている。一般的には、デジタル・リテラシーという単語で片付けられてしまうことがあるのだけど、これはすごく性格や性癖をあらわにするから、おもしろい。


【これは自論ですが】

  • 自らある程度の文字量でなにかを継続的に発信しながら、このブログも読んでいるという人は、どちらかというと奇数体癖かと思います。
  • 自ら意志や考えを構成した内容で発信はしないけど、「この人のいっていることは、なんだか刺さる」と思いながらこのブログを読んでいるという人は、どちらかというと偶数体癖かと思います。


わたしはよくオタクと言われるのだけど、とにかくなにか法則性のようなものをひとつ見つけると、とことん没頭するところがある。高校生のときは、バッティングや投球やショート・バウンドの処理の仕方を自分なりに研究していた。考えすぎてスランプになることもあった。
いわゆる「勉強ができる子」ではない、というのは子供の頃から残念に思っていたけど、絵や投球(体力テストの)だけはよくほめられたので、「このへんのことは得意なんだろうな」と思っていた。でも、脳みそまでは筋肉になれない冷静さのようなものが抜けない。

大人になってからは「冗談がわかる人が多い」という年齢的な底上げのおかげで、子供のころよりはずいぶん気持ち的にラクになっている気がします。