うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

れんにょさま(ひがしほんがんじえほん)

れんにょさま
しんらんさま」に続いて、蓮如さまです。同じく東本願寺で読んだもの。
今日も一箇所を抜粋紹介しますが、要素は「しんらんさま」とまったく同じです。
子供向けの仏教絵本でこういうことをこういう文章で書いているのはおもしろいなぁ、と思う。子供は子供ながらに大人同士の嫉妬や妬みを見ていろいろ感じるものです。子供にはあまりよくわからない見栄とか、そういうものを見て学んで、大人になって思い出して、そこから個人差が出る。
感じるだけでは終わることができないのが、大人。この本は大人向け。

蓮如さまのお話を聞きに
本願寺へたくさんの人たちが
集まるようになると
おもしろくないのは比叡山の山法師たちです


昔からの教えを守って
修行している山法師たちは
「念仏をとなえただけですくわれるなんてうそだ」
「念仏をやめろやめろ・・・。」
と東山大谷の本願寺へおしよせ
お堂をこわしてしまいました。


蓮如さまは、親鸞聖人のお像をだいて
大津の三井寺へにげられました。

「おもしろくない」
ヨガの場面でも、見かけます。
邪道もなにも、あるもんでしょうか。
場所も、かたちも、時間も、強度もさておき、やっぱり「継続」じゃないかと思うから。
意識の積み重ね。


さて、ここでも修行の先人たちは、「おもしろくない」をきっかけに行動をおこします。
むかしからある心情。


「うそだ。信じたくない」


信じろといわれる前から信じたくなかったことは、ずっと前から自分の中にあったこと。
それを修行で育ててしまったものだから、過去の修行の時間が重さの掛け算の係数になってしまった。

「自分は特別な人間でありたい」という基本的な意識の火種に槇を足し、火を風で煽り、多くの炭をだす。
炭になると、火のかけらは集めやすくなる。

意識を燃やしたかけらが、「おもしろくない」の号令で集まっちゃった。


火種を絶やさず、でもできるだけ炭を出さないように。


微細な酸素を捉える力を養うのはむずかしいかもしれないけれど、信じたくないものから学べるくらいには、ならないとね。
またまだずっと、山あり、谷あり。
まずは、そこから。