うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

おうちを決めてないひと

また東京を離れています。連日の移動と冷房で少し疲れていたのか、新幹線の切符の18時と19時を読み違えて、駅に早く着いてしまった。
膝を休めたくて、座るところを見つけてひと休み。公衆トイレのような臭いがするその場所は、「おうちを決めないひと」の隣の椅子だった。
日本では、ホームレスというけど、ここではあえてインド式で「ババ」と呼んでみよう。



ババの隣の椅子は、みんな、座ろうとしてもすぐに立ち去る。
ババからふたつ離れた席で、サラリーマンの二人連れがなにやら話している。
ババはすこし興味ありげに二人をずっと見ている。なんとなく、ババは第三者からはその仲間でもおかしくないと思われたいのかな、と思った。近づくまで、そう見えた。目が悪いせいもある。
隣にいたわたしよりも、ひとつ感覚をおいたサラリーマンたちのほうに身を寄せていた。



わたしは、さすがに抱きつかれたら困るけれど、父親と同じくらいの歳に見えるババは、父親かもしれなかった人として見てしまう癖がある。
億単位の借金をしたかもしれないし、女性問題があったかもしれない。なにもなさすぎたのかもしれない。
同級生が会社の社長とか、そういう年代の人だ。もういろいろ卒業してきたのかもしれない。



そうやって、大人の想像力をひろげながら、だからといって極端な方向に引っ張られるでもなく、地下では根を張り、地上ではしなやかに揺れながら呼吸をする。木のように。



最近「加齢」が、あたたかくリアルに感じられる。体力が落ちると、心が追いつこうとするみたい。人間は、なかなかうまくできている。
われわれの世代の30年後は、「加齢」があたたかいものでないと、きっとしんどくなる。最近、同世代以上の知人で体力の衰えを口にするひとが増えてきている。わたしもそうだ。
五木寛之氏のいう「不安の力」を、いまからしっかり感じ取りたい。