うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

カルマ・ヨーガの志も、密教なんだ

今週はひとつ、大きな学びがありました。
うちこのなにげないつぶやきが、職場に波紋を投げかけてしまった。
近くでそれを見守ってくれていた仲間は、「結果オーライだったじゃない」という着地でしゃんしゃん、でいいのだと思うのだけど、うちこにとってはやっぱり少し、悲しい事実だった。


先日「逆ジャイアニズムは意外と受け入れられにくい」という日記を書いたのがそれだ。


うちこは今週、「仕事への志に対する違和感」について、職場の人も目にする場所で個人として「たとえ多くの人がそうであったとしても、わたしは別の道を行かせていただきます」と発言した。
それが、同じ志を持つ仲間に連鎖した。うちこは、彼と彼女が同士であることに気づくことができた。それはわたし個人にとって、とても幸せなできごとでした。

その波紋は、結果、うちこが所属する組織全体で「あなたの感じた違和感は正しい。発言してくれて、ありがとう」ということになったのだけど、そこにいたるまでのそもそもの議論の発端は


 こんな不協和音を生み出す発言をする奴は、どうなんだ


というところから始まっている。
うちこの発言を「問題視」した人が(どなたかは知りません)、「不協」和音と感じた運動神経的な感覚の根源には、「差別感情」がある。あえてわかりやすく、強い口調にします。


 おれさま達の感覚に対する、この退位姿勢をのさばらせていいのか


うちこはこの感情をまっすぐに受け止め、短い文字数で発言するいま流行のインターネット・メディアを使用することをやめました。


「本当にやめちゃうの? 残念」
「別アカウント作ったら、教えて」


という趣旨のメッセージを、今週たくさんいただきました。
別アカウントは、つくりません(笑)。


 不協和音


この四文字は、わたしの心に強く刺さりました。
正直、耳を疑いました。
そして、明るく「あきらめ」ました。


孤独な道程でも、うちこはカルマ・ヨーガを続けます。
たとえ「不浄な存在」と扱われても。


 今回の自分の扱いって、まるでガンジーに「ハリジャン」って言われたような気分なんだ。

 聖なる奴隷。


事実を知ることが、ありがたかった。
大きな組織でなければ、経験できないことだ。
そして、「孤独な道を歩くこと」への覚悟ができた。
仕事への志は、直接伝えていく「密教」なんだ。
これからは、ヒミツのうちこちゃんだ。


こんなことにいまさら気づくなんて、いままで何をやっていたのだろう。
(そう思うことが、そもそもエゴなんだけど)


きっと、この日記を読んだ職場の仲間は「応援しているよ」とか、「うちこは孤独じゃないよ」とか思ってくれちゃったりするのだろう。
なので、先回りして言っておく。
「ありがとう。孤独じゃないこと、わかっています(笑)」。


 「おお! 心の友よ」(結果ジャイアニズムじゃん・笑)