今日はもうひとつ、きのうの夜に親方と話をしたなかで、面白かったことを記録しておこうと思う。昨日も今日もリシケシでうちこにおいしい日本食を作ってくれたミカちゃんと一緒。彼女はヨーガをスピリチュアルにふくらませないので、うちこの容赦ない平常心ツッコミと同じ品質・確度で応酬してくれる。ヨガの話をしていても、ダブル・ツッコミのスタイルがきれいにできあがる。彼女がシステムエンジニアであるというのも、要素として多分にあると思う。
昨夜、ヨガの後に親方を囲んでお茶をしながら(うちこだけガッツリ食べてましたが)、ミカちゃんとうちこの共通のあだ名「乙女ちゃん」の話になりました。
親方が「乙女ちゃん」という日本語に興味をもったので、「シュリ・シュリ・ラビ・シャンカールさんのこと。ガーリーだっていう意味よ」と説明しながら、
きゃぴっ♪
というジェスチャーもつけました。
そしたら親方が「あの人は、もうホルモンがそういうふうになっているんじゃないかな(男性ホルモンが減っている?)」といったようなことを言ったんですね。
そのあと・・・・
うちこはその速さについていけなかった。
Youは?(ミカ)
ミカちゃん、切り込んだーーー!
こんな調子で話す親方に、切り込んだーーー!
ってゆーかどこでもシッダーサナだー。
「なんでそんなこというのさっ、もー!」(笑)って。
もう、「かわいい」って言われ慣れてるんだろうな。
(でもこの人の場合は、前提として「イケメンインド人である」ということもこの振る舞いに行きつく過程要素として、大きいと思う)
そういううちこも、もうこの場で「小さいオッサン」の存在をオープンにしてしまったとおりで、こういうのが、あまり人ごとではない気がするときがある。
ヨーガを続けていると……
身体と心を「内と外」でみる
身体そのものも「内と外」でみる
心そのものも「内と外」でみる
いろいろな層で
「あきらめ」「無常観」に立ち会う
・・・いろいろ、分解とあきらめの繰り返しで
それをつなぐものが呼吸であることに気づき
呼吸してそこに「ある」ことだけがただひとつのことで
さっき殺したゴキブリと自分はかわりがないことを認識し
「いやー、たまたま "うちこちゃん" てのを着てまして」
肉体というものが着ぐるみのように思えてくる。
たまたま、女子なんだなぁ。着てるものが。
というようになってきて、もうよくわからんことになり、
ガンダム肉体説のようなことを唱えるようになり、
日常においては
着てる肉体にあわせておかないと、
周りの人々に余計な感情を持たせてしまうから、
そういう振る舞いをしておきましょう。
ということになってきます。
親方といると、「いいんだ、これで」と思えて安心する。
もうひとつ、別で書こうと思っていることがあるのですが
今日はひとまず、ミカちゃんの「光のツッコミスピード」を記念して
と記念撮影をしてみたのだけど、
二人とも体幹がたくましすぎて、乙女度ゼロ。
バッティング練習みたいになってしまった。これも「あきらめ」の瞬間ですかね。