うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

頭と心は騙せても、背骨と内臓は騙せない

今日までに身体に起きた変調について、赤裸々に書いてみます。健康の話ですよ。心のことも書きます。
後になって思い返すと「そんなに自分で圧を感じていたかなぁ」と思うのですが、今日仕事でひとつ、「あとは流れをまずは見る」という段取りまで仕込んだことがありました。まあそれはそれで当たり前の仕事をしただけなのですが、身体には1週間前からサインが出ていました。


鋤のポーズ(ハラ・アーサナ)に入る動作で感じる背骨の違和感。
(胸椎の5番6番あたりに張り/鋤のポーズ


仕事のほうは、先週の金曜の時点で自分で決めるところは決めて、あとは連携する仲間と指差し確認をして、ほんのつかの間の修行旅行へ出かけて、今日を迎えました。


そして朝、前触れのない経血。中14日。確実にイレギュラー。女性陣のためにあえてディテールを書いておくと、粘度はレギュラー時より低いです。
うちこは基礎体温はつけていないものの、その周期は手帳に書いているのと、基本は満月の空と照らし合わせて確認しています。「ああ、ちゃんと引っ張られてる。よし、よし。動物してる」と。
なんで満月をものさしにしているかというと、まあヨギだからね、ってのもあるのですが、ものすごく体内時計に引っ張られる体質だから。過去に、2ヶ月止まっていて(というか、止めてたんだね)、どばっと解放されて泣いたら来た、というエピソードを書いたことがありますが、10代の頃からこの傾向。意識が時間を忘れると、子宮も忘れてる。しかも、体調はすこぶる良い感じがしたりする。ずっと軽い。


学生の頃は絵を描いたり創作活動をしていて、その頃から集中力が異常に膨らむときがあるんだろうなぁ、というのは感じていたのですが、身体に目を向けるようになったのはここ数年のこと。
毎日のように同じアーサナを繰り返す生活に入って、4年が過ぎた頃からやっと「違和感のディテール」を自分で見つけられるようになってきました。


今回は、先週の時点で胸椎の5番6番あたりに張りを感じていました。大好きな「カルナピーダー・アーサナ」も、奥歯に物が挟まった物言いみたいな状態。
もうひとつは、以前「肝臓にきてるな、というのがバッタのポーズでわかる」という日記を書きましたが、肝臓の腫れです。今回は、バッタのポーズよりも「立位で額を膝につけるポーズ」の第一ステップ(組んだ両手に右足を乗せて、足の裏とウディヤーナ・バンダで上下ベクトルしている状態)でかなり強く感じました。


こんな生活をもう何年も続けているわけなのですが、今回はまったく頭と心のほうではストレスと認めるほどのものはなかった。
でも、決断がやっぱり孤独なことばかりだった。今の仕事は、目立たないけれど小さな仕掛けをしておくと、あとで貯金ができるような宝がいっぱいある。それをどんどんみつけて、仕込み続けて少し実験的な冒険ができる余裕をつくりながら、ノルマの数字も追っていく。数字の責任、原因の追究はうちこのところに来る。それが仕事なので当たり前。
そしてうれしい半分、孤独半分な状況なのだけど「いま、ここだと思うよ」というところへのアプローチは、仲間たちがものすごく一生懸命に取り組んでくれる。こういうのは経験や嗅覚もあるけれど、やっぱり一番必要なのは「ここ、いきますよ。やりますよ」という強い意志。バイタルがいる。みんなが信じて走れるようなインプットには、頭よりも心(意志)のほうを強く使う。


昨日母親と地元の温泉に入ったときにすこし肌が荒れて、「意外とデリケートだなー」と言ったら母が「あんた、昔からデリケートよ」と言う。別にここで「デリケートです!」ってアピールしたいわけじゃなくて(笑)、今日はタイトルのとおりで、頭と心は騙せても、背骨と内臓は騙せないんだなぁやっぱり。という話。
逆の視点で言うと、こんなに背骨と肝臓がリアクションするような状況でも、頭と心はハッピーなまま、やることはやれるバランスのコントロールができたのが小さな進歩。別に身体に何かがあっても、しょせん身体は現世の借り物なので、どうでもいいんですね。中身インド人ですから(笑)。


仕事で日々行なうジャッジは、後でどこかからSOSが出たり、最悪ボタンの掛け違いで「なんでそんなこと推し進めたんだ」みたいなことがあるかもしれないけど、トータルでは絶対にプラスだし、そこに嘘はない。「ここにこんなカーブのパイプを通してみた。どうなるかな〜。お水、こ〜い」という状態。100%すがすがしい状態なんて、ないのね。無常ね。
逆立ちして、ビール飲んで、寝ちゃえ〜。え〜い。え〜い。


さて。
少しお話の方向をずらしますが、うちこは世間日常で使われる「ストレス」という言葉の用法が好きではありません。なんでマイナスの印象ばかりで語られるのかな。ヨガのアーサナで「適度なテンションはよいもの」とされているのを、日々身体を通じて学んでいると、「無条件でいたわってくれ」という匂いを放つその語感が不思議なものに見えます。
「ストレス」という言葉を安易に出されると、「それどういう角度で、どことどこの摩擦? どんな圧? 角度を少し変えると、圧はやわらぐ? それとも高まる?」と分解したくなる。というか、けっこうします。
これ、嫌がる人もいますが、仲の良い女子友達にはものすごく喜ばれたりします。男子はイヤみたい。まれにそうじゃない人もいるけど。仲が良さそうな関係でも、これを嫌がる男子とは、どこかうちこも心の中で距離を置いている。
よくアルカイック・スマイルの状態で、心の蝋燭の火を指でつまんで消してます。「指でつまむ」のが重要。「燃えていたのを、消した」という心の感触をできるだけ具現化するために。


ここ1年くらい、こういう話もわりとコンスタントに書くようになっているなぁ。書くたびに少しだけ恥ずかしくなって、「こういうのは、やっぱりたまににしておこう」と思っていたのだけど、おととい沖ヨガの松義先生に「うちこさんの経験から出る言葉、面白いですよ。リアルな力がある」と言っていただいたので、これからはあまり照れずに書きます!(う〜ん。←往生際が悪い。笑)