ふと思いついたことがあって。
わたしはわりとインドの思想や哲学を身近に感じる生活をしていて、頭とハートの中では二重人格的に日本人とインド人の間をいったりきたりしている。
ヨガの師匠やホームステイ先のインド人兄弟、インドで知り合った人々との会話の中で、たしかにこの人たちは初期設定から「哲学の国の人だな」とは思うのだけど、日本にも同じように「ことわざ」がいっぱいある。
思わず膝を打つような、うまいこといってる「ことわざ」「格言」はわんさとあるし、格言カテゴリの本のなかでかならずなにかしら流行っているものが、常にある。
そんななか、いつも「ここが彼らと我々の違いではなかろうか」と思うのが、やっぱり死生観。輪廻思想が背景にあるか、ないか。
日本の
弱い犬ほどよく吠える
という表現は、誰もがものすごくスッと「だよね〜」と共感するものとしておなじみだと思うけど、そこからあまり深く掘り下げませんよね。
人間も、犬と一緒だね、うまいたとえだね。以上。というところで終わる。
インド脳に置き換えてこの話をすると・・・
ああ、彼はおびえていますね。
傷つきたくない、敵だと思って、自己防衛をしていますね。
彼はそれ(恐怖)を自分で生み出していますね、ええあれはエゴです。
死からは逃れられないのに、肉体を「自分のもの」と思い、怯えているのですね。
(こっからさらにデフォルメすると)
彼はあれをもう何百万回と転生しながら繰り返しているのでしょう。カルマですね。
長くなる!(笑)
わたしはインドのエゴの喩えのなかで
・暗闇でロープを蛇と見間違えておっかなびっくりする
・赤ちゃんは泥棒を知らないないから、泥棒が近くを通ってもこわくない
というのが好きな喩えの2強なのですが、日本の落語とかお笑いと同じように、インド哲学は楽しいんです。
▼過去のインド脳ネタ
●聖者の漫才
●肉体という制限
●グルの選択を誤った男の悲劇
●インドのジョーク事情
●インドの信号のこと(冒頭)
●よいカルマを育てる。子育てのマントラ応用法