うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ハタ・ヨーガ完全版 成瀬雅春 著

待望の復刊書籍、ということで入手。2000円でこのような手引きが手に入れられる時代。いいですね。
空中浮遊で有名になった(なってしまったという感じなのかな)著者さんですが、この本はコラムがとっても面白かったです。アーサナの説明の中にあらわれる表現の中で、わたしが普段「ベクトル」という言葉を使って書いているようなことが別の表現で説明されていて、ああ、こういう言い方もあるなぁと参考になったり。

この本には、他のヨガ本ではあまり見ない、普段のレッスン以外で師匠からなりゆきで教わったアーサナが載っていたので、今後は「あの本にも載ってました」ということで引用させていただくことになりそう。結跏趺坐で膝で立って頭の上で手を合わせる「山のポーズ」とか(たまにコンマ数秒、「おむすび山っ!」という掛け声でやってます。声には出しませんが)。

あと、こんなこと書くとお弟子さんたちに怒られちゃうかもしれないけれど、こう、リリー・フランキーさん的なフェイスが、なんとも素敵です。なごみます。でも足元を見ると「この足首、どうなっちゃってんのー?!」と。上半身がリリーさんなのに、下半身がアイアンガーさんだよ! と。そんなギャップがたまらない魅力の一冊です。
それから、この本はモノクロ写真なのですが、成瀬ヨーガグループのフォトギャラリーで、ヒマラヤの青すぎる空の下、アーサナをとられている美しい写真をみることができます。きれいだよぉ。


ではではいつものように、いくつか素敵な部分をご紹介します。

<21ページ いよいよヨーガを体験する より>
(著者さんの教室の様子を語られている部分です)
 そして時間になり、合掌して「ハリオーム」というあいさつから始まる。このハリオームというあいさつは、わたしが初めてインドに行ったときに、リシケーシュという聖地でごく普通に交わされていたあいさつである。それ以来わたしはヨーガの始めと終わりにはこのあいさつを使っている。
 ハリ(hari)というのはインドの三大神の内の、宇宙の維持を司るヴィシュヌ神の別名である。オームは最も神聖な言葉で、言葉のすべてや宇宙のすべてを表しているとされている。

わたしも、低い声のババ(おじさん)が大きな声でかけてくれるこの挨拶が好きでした。自分で言うと、いまひとつ軽〜く風に乗ってしまうのであまり言わなかったけれど。「リ」から「オ」への強い移行が、いい。


<63ページ 死者坐(ムリタ・アーサナ) より>
ムリタに否定の接頭辞「a」がつくとアムリタとなり、「不死」という意味になる。神話では神々と魔族は不死の霊薬「アムリタ」を奪い合うという話が有名だが、これも単純に「不死」と解釈してはいけない。
 アムリタを手に入れることで、永遠に死ななくなる、と考えるのは余りにも短絡的すぎる。不死というのを「死なない」と解釈すると間違いが生じる。
 アムリタを得ることでなぜ不死が得られるのかというと、それはムクティ(解脱)が得られるからである。つまり、不死というのは「死なない」のではなくて、一度は死ぬが「二度と死なない」ということなのである。それは、人間は限りなく生まれ変わりを繰り返す、サンサーラ(輪廻)という考え方から来ている。その生まれ変わりの輪をどこかで終わらせたい、という願いが「解脱願望」なのだ。
 二度と生まれ変わらなければ、二度と死ぬこともないので「不死が得られる」ということなのだ。

一度は死ぬが「二度と死なない」、わかりやすい説明だと思いました。エンドレスな輪廻思想よりも、いっこ先までならなんとなく理解しやすい気がするのは、日本人だからだなぁ。


<91ページ 前屈系統の行法 より>
とくにむずかしいポーズなどは、無理して行法をおこなっても、あまり意味はない。それよりは自分のできる範囲でおこない、観察力を向上させる方がはるかにいい。

あーこれ、無理。って思うときの「無理ってなんだよ」の自問自答は、うちこがかなり好きな時間。「いってみろよぉ」「いいよぉ。やめろよぉ」「できるって〜」「今日はやめておくよぅ」とか。
内容はちゃんと、「もしかしたらあの(別の)アーサナのこの呼吸の瞬間にヒントがありそうだ」とか、そういうことを思念しています。


<141ページ サンスクリット語について より>
 ヨーガ用語にはインドの古語サンスクリット語が使われています。私は少しサンスクリット語を学びましたが、とても使いこなせるには至りませんでした。もっともサンスクリット語は、一般的な会話語ではないので、それを使って生活するというものではありません。主に宗教儀式や祭祀に使われる言語です。日本で言えば祝詞のようなものです。

「日本で言えば祝詞のようなもの」。わかりやすい! かしこみかしこみ〜 と同じね。


<180ページ アーサナを連続させる より>
 そのアーサナの連続だが、実は簡単なようでなかなか難しいのだ。いろいろなアーサナを知っていれば、それを連続させればいいようなものだが、実際にやってみると、実はそう簡単にはいかない。
(中略:このあとにカウンターポーズとのバランスなどが語られ)
 次にどんなアーサナをやろうかと考えているうちは、まだ本来的な修行にはならない。そういうことを考えずに、次々とアーサナを連続させられるようになって、初めて修行に入ることができる。
 身体が自然に働いてアーサナになり、アーサナからアーサナへのつなぎにむだな動きがなく、安定した精神状態で肉体を操作でき、アーサナを連続していくことで、ごく自然にクリアーな瞑想状態へ移行する。── というようになれば、自分を磨き上げる修行としてのアーサナになる。

さっと絵が描けるような感覚で、画欲とかじゃなくて、全体でバランスされている。そういう感じに似ていますね。


<183ページ 肉体による瞑想 より>
アーサナを連続させる」と一口に言っても、無駄な動きをせずに、途切れることなく連続させるのは、並大抵のことではない。集中力を精神力はもちろんのこと、雑念や迷いのない心が要求される。つまりしっかりとした瞑想ができるくらいの実力が必要なのである。

もうね、何年やってても、変なことが湧いてきます。「えええ、もうビールのことですか。まだポーズ6つ目ですが」とかね。でも、いつもそこで引き戻してくれるのは、呼吸と鼓動と、足の裏の感覚。この3つは手放せない。


<185ページ 心身反転の行法 より>
 一つの大きなヒントは、目に見える状態を、そのまま受け入れる、ということにある。それは、どういうことかというと、逆立ちをすることで、床が足のはるか下に見えるのだが、そのまま受け入れれば、体が天井からぶらさがっている状態に見えるはずだ。つまり、自分の側から見れば、あくまで足の方が下であり、頭の方が上、ということになる。そうして見ると、本来の天井は足のはるか下にあるので、それが床と思えてもいいはずだ。そして頭をついている床は、頭の上にあるので、天井だという解釈をしてもいいはずだ。
(中略)
 逆立ちは、そういう具合に、発想の転換を可能にさせる内容をもっているので、慣れれば瞑想の能力が飛躍的に向上することになる。

以前「三点倒立で結跏趺坐の足を組む」という日記に「座った状態でできることは、逆さになっても、逆さまになることができていれば、できるはず。」と書いたのですが、本当にいつもはただ足のほうを下にしています、と考えたら、そんなに難しくはないはずなんじゃないかな、とか、そんなふうに思います。だから、手のひらでももっと立てなきゃヘンなんだよなぁと、そういうスタンスになる。


<194ページ アーカルナダヌル・アーサナ 弓引きのポーズ より>
 ヨーガの行法はすべて集中しておこなわなければならないのだが、その中でもこのアーカルナダヌル・アーサナは「集中すること」が中心になる。表面的な形ではなく「どのくらい集中できているか」が最も重要な部分である。

《修行者へのヒント》
 たとえば、引いてくときに、足をつかんでいる手がどういうラインを描いているかを観察する。スタートから耳元までの動作の経過を観察すると、たいていはギザギザなラインになっている。「真っすぐに引いている」という人は、たぶん観察力が欠けているのだと思う。観察力があるほど、ラインのギザギザに気づくはずだ。
 そしてもうひとつ、スタートから耳元までの動作の経過を観察すると、そのスピードにむらがあるのに気づくはずだ。一定のスピードで引いていき、一定のスピードで戻してくるには、安定した精神力と集中力、そして細かな観察能力が要る。

教えてもらったのにあまりやっていなかったアーサナ。この最後の説明を読んで、急にやる気になりました。ベクトル萌えなもので。



からだの動きだけでなく、こころの動きのヒントも載っていて、実践する人には良書だと思います。帯に、ポーズへのテンションを示す表現に「あこがれの〜」とあるのだけがちょっぴり残念。そこまでマーケット寄りな日本語まで落とさなくても……、という意味でね。
帯を取ったほうが良書です。

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