うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

あなたも自分で異常が正せる 呼吸体操によるヨガ修正行法 沖正弘 著

あなたも自分で異常が正せる 呼吸体操
図書館の保存庫から借りて読みました。1978年の本です。待ち人がなければ一度だけ延長できるので、年末年始の休館日を挟むように借りて、1ヶ月ちょいの間、本&ノートを持ち歩いての咀嚼作業。
この本は写真を中心に各部への修整体操のアプローチ、その根拠などが書かれています。根拠のところはこれまでに他の本でも何度か読んでいました。実践は何度か松義先生にやってもらったり、教えてもらったりしたことがありました。アーサナは、例の音源でこの本と並行する形で実践。
「部位」や「症状」をキーにまとめてあるこの本で、点在していたいろいろな記憶を線でつなぐような感じでした。

今まで、「自分のいびきは右にねじれているのが原因ぽいなぁ」とか、自分でもシャバーサナ中に感じていた肝臓の腫れを松義先生から修正体操中にも指摘されたり、方鼻呼吸の傾向と照らし合わせてみたり、自分なりに確認を地味に続けてきていました。
そんななか、写真とともに対応バリエーションが多く載っているこの本のおかげで「いま自分が知っているアーサナ」をベースに、対応方法のロジックを照らし合わせて確認して、自分の知っている範囲で咀嚼したノートを起こすことができました。



こんなオリジナル・ノートが10ページできました。
完全に自分しか理解できない書き方なのですが…



夜は、ベッドの上で(すぐ試せるので。自分が実験台^^;)



道場稽古の空き時間に、ベンチで勉強〜
本に載っていた傾向の人をすぐ捕まえられるかも! と、期待して。
(ちなみに写真のおすしは、写経会でもらったもの)


そんなこんなで、今回は文字の少ない本なので引用紹介はいつもより少なめですが、文字の箇所から、いくつかご紹介します。文章の後に、いくつかメモとして残した写真も。

<10ページ ヨガとは何か より>
 ヨガは「生きる」という唯一の目的のために、よいといわれているもののすべての中から、体験によって真実を体得しようとする学行です。(中略)
ヨガではどんな病人も決して病人扱いをしません。病人ほど健康人以上に健康人扱いをし、健康人ぶらせ、宗教的奉仕生活をさせないと決して治らないのです。病人の健康法は、健康人以上に生きる工夫をして生命のよろこぶ生き方をすることです。
 ヨガでは、生命が神であり、お互いが尊い存在であるから長生きしなければならないのであり、個性別に生まれてきているということは、各人特有の使命があることである、と説いています。この真理がわかってくれば、なぜ生まれてきたのか、どのような生き方をしなければならないのかが自然にわかってきます。
 ヨガでは、最上に健康になる秘訣、最上に生きる方法は、生命が喜んでくださる生き方をすることである、と教えています。生命が喜ぶ生活とは、自分の能力が完全に発揮でき、自分が他の生きることに協力できること、自他ともに満足することができることであり、このような生き方をすることが、すなわち健康の原則であり、治療の原則であり、また長寿の原則なのです。

「生命が喜んでくださる生き方」って、いいよなぁ。いちいち。表現が。

<12ページ 実施上の注意 ─ 1 より>
修正体操は型をとるのが目的ではなく、型をとり呼吸を変えることによって起こる、内部の変化を求めて行なうものです。つまり修正体操は、意識層を変化させることによって、無意識層に影響を与える自律行法の一つなのです。あくびとかくしゃみ、せきなどは、身体が無意識的に行なっている自然修正法なのですが、それを意識的に行なって内在力を喚起するのが、この修正体操なのです。ですから、修正体操を行なう時は、冥想の状態で正確に行なわれなければなりません。心を落ちつけて動禅として行ない、呼吸をととのえ内部を変化させ、くつろいだ人間としての一番自然な状態を回復するのが目的なのです。

いままでのこのブログで紹介してきた沖先生の言葉のダイジェストのようなまとまり。無駄が無い!(「無駄するな」の実践文章)

<12ページ 実施上の注意 ─ 2 より>
やりにくい動作(例えば、起き上がる動作)もはずみを使ってやらないこと。
(注)起き上がること自体が目的ではなく、その動作をやろうと努力することが呼吸や筋肉・骨格に刺激を与え、それが本来の修正体操を起こす刺激になるのです。

この(注)以降の一文も、宝石のような説明。「その動作をやろうと努力すること=本来の修正体操を起こす刺激」ね。

<あとがき より>
世界各国の私のたくさんの弟子たちがヨガを説き、それを本にも書いていますが、そういうものが即ヨガを説いていると思ってもらっては困るものが多いことを告白します。求道心で真実のヨガを学んでいただきたいと思います。今後も精神的なものは精神的なものとして、肉体的なものは肉体的なものとして、また奥義的なものは奥義的なものとして分けて刊行されてゆきますので、それだけを読んで本当のヨガだと思わないで下さい。

こういう表現は頻繁に見ませんが、告白されています。
わたしの感覚では、沖先生の教えのなかから感じる要素として、非常に「カルマ・ヨーガ」の重要性を伝えたいという意向が強く感じられるようにます。バクティ・ヨーガよりも、カルマ・ヨーガ色が強い。健康に役立つ、心の問題に役立つということで、そこにスポットがあたって、しかもその世界では神のように扱われてしまっている。でも教えていることは「特別な印象の着地」を求めるものではなく、問題解決の後、その後の日常に生かせなければ意味がないのよと。
とはいえ、特に身体的な面、メンタル面で結果が出てしまうものだから、ますます実践をすっとばした期待をする層までその情報は広がるし、全てを伝えようと思っても、やっぱり項目で切り分けられるから、気になるものだけ食べられることも多い。
「ヨガそのものについても、一部を食べるのではなく、完全食してほしい(できれば、生のまま^^)」という思いがこの文章に込められているように感じます。


ちなみに修正体操そのものの説明の中では、

こういう、パートナーとして修正のお手伝いをできるものの紹介があったのがありがたかったです。



これは異常に楽しげだったので、思わずパチリ。


久しぶりにノートを使って勉強して、かなり学生気分を味わえました。
あ、この人のこれは……、なんて思って家に帰って見直したり。ノートの内容は、こんなふうに毎日の生活の中で、何年もかけて知識にしていくものになりそう。
ヨガのアーサナをしている瞬間って、状況を掛け合わせたものに日々の変数をさらに掛けて、それをチューニングするような作業だなぁとよく思うのですが、それを「無」になって内観してやるのがどうにも面白い。

さすが、数学と哲学の国が生んだものだなぁ。ヨガって、おもしろいねぇ。

呼吸体操によるヨガ修正行法―あなたも自分で異常が正せる

呼吸体操によるヨガ修正行法―あなたも自分で異常が正せる


沖正弘先生の関連書籍はこちらにまとめてあります。