うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「茶室」「花」「茶の宗匠」(「茶の本」岡倉天心 著より)

岡倉天心さんの「茶の本」のなかから、「茶の流派」「道家と禅」に続いて今日は3回目。「茶室」「花」「茶の宗匠」の3つの章の中から、いくつか心に残った箇所をご紹介します。
茶の流派」の章では最澄さんが登場していましたが、「花」の章ではなんと空海さんが登場! 『秘蔵宝鑰』序文の有名なアレを、岡倉さんバージョンで読むことができます。ご、豪華すぎ……。
「茶の宗匠」では、秀吉に切腹を命じられた利休の、歴史的におそろしく悲しい結末の一場面を抜き出しました。この本の中でも、非常にどきどきしながら迫り来る一部分です。時代劇で見るのとはまた違う、この本の流れならではの展開で、読みながら「やるせない」感情を引き出されました。外国の人には、どんなふうに映るのかわかりませんが、「秀吉=ギンギラギン」という予備知識がある日本人が読むと、またひとつ深い味わいです。

ではでは、紹介いきます。

<「茶室」 126ページ>
That the tea-room should be built to suit some individual taste is an enforcement of the principle of vitality in art. Art,to be fully appreciated,must be true to contemporaneous life.It is not that we should ignore the claims of posterity,but that we should seek to enjoy the present more.It is not that we should disregard the creations of the past,but that we should try to assimilate them into our consciousness.


 茶室はある個人の趣味にかなうようにつくらねばならぬということは、芸術上の生命力の原理の一つの実践である。芸術は、申し分なく味わわれるためには、同時代の生活にとって真でなければならない。それは後代の要求を忘却すべしというのではなくて、現在をより多くたのしむことに力(つと)むべきだというのである。それは過去の創作を無視すべしというのではなくて、それをわれわれの意識に同化させるよう試むべきだというのである。

assimilate intoで、同化させる、という意味なのかぁというメモ。インドで「conscious」「consciousness」という言葉をよく耳にしていたので、ここに目が止まりました。

<「花」 163ページ>
 Sat as it is,we cannot conceal the fact that in spite of our companionship with flowers we have not risen very far above the brute.Scratch the sheepskin and the wolf within us will soon show his teeth.
(中略)
Nothing is real to us but hunger,nothing sacred except our own desires.Shrine after shrine has crumbled before our eyes;but incense to the supreme idol──ourselves.Our god is great,and money is his Prophet! We boast that we have conquered Matter and forget that it is Matter that has enslaved us.What atrocities do we not perpetrate in the name of culture and refinement!


 なさけないことだが、われわれは、花をおのが伴侶としていながら、しかも獣性からあまり上に出ていないという事実を、隠すわけにはゆかない。羊の皮をはぎ取れば、われらが内なる狼はすぐとその歯を見せるのだ。
(中略)
われわれにとって真に在るものは飢餓だけなのだ、神聖なのはわれわれ自身の欲望だけなのだ。つぎからつぎと神殿はわれらが眼の前で滅びて来た。だが、一つの祭壇だけはとこしえに永らえている、それはわれわれが、あの至高の偶像──われら自身に香を焚くあの祭壇である。われらの「神」は偉大である、そうして金銭はこの神の「予言者」なのだ! われわれはこの「神」への犠牲をとするために、自然を荒らしまわる。われわれは「物質」を征服したといって誇っている。しかもわれわれを奴隷に陥れたものが「物質」であることを忘れているのである。教養とか風流とかの名において、いかなる凶悪をわれわれは犯さないというのか?

一瞬運動神経的に「神社 after 神社」といつもの癖でスッと読んでしまったのですが、そこは読み直して(笑)、意味はざっくりとしか最初はわからないなりに、迫力を感じながら読みました。
中国とチベットの話をするときに、主語を変えて使えそうなフレーズばかりです・・・。
メモ:atrocities(複数形で)=残虐行為、凶行

<「花」 172ページ>
However,let us not be too sentimental.Let us be less luxurious but more magnificent.Said Laotse:"Heaven and earth the pitiless." Said Kobodaishi:"Flow,flow,flow,flow,the current of life is ever onward.Die,die,die,die,death comes to all."
Destruction faces us wherever we turn.Destruction below and above,destruction behind not before.


 だが、あまりに感傷に耽るのは、止めにしようではないか。贅沢を少なくして、もっと壮大になろうではないか。老子はいった、「天も地も無情である」と。弘法大師はいった、「流れゆけ、流れゆけ、流れゆけ、流れゆけ、生の流れは逝いてとどまることがない。死ねよ、死ねよ、死ねよ、死ねよ、死はすべてのものに来る」と。いずこを向こうとも、われわれに直面しているものは破壊である。下にも破壊、上にも破壊、背ろにも破壊、前にも破壊だ。

オリジナルというか、いま伝わっている文章では「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く 死に死に死に死んで死の終りに冥し」(『秘蔵宝鑰』) なのですが、この「生まれ」を「Flow」としているところ、最高にカッコエエェェェェェ! かつ、ヨギィィィィィ〜、と、ひとりでかなり盛り上がりながら読みました。まるでヨガ宗・空海さんのハートが降りてきたかのようなイングリッシュです。
ちなみにことあと文章は、「変化」だけが唯一の「永遠」なのだ(Change is the only Eternal)と続きます。

<「茶の宗匠」 198ページ 利休切腹の前の茶の描写より>
Soon the host enters the room.Each in turn is served with tea,and each in turn silently drains his cup,the host last of all.According to established etiquette,the chief guest now asks permission to examine the tea-equipage.Rikiu place the various articles before them with the kakemono.After all have expressed admiration of the assembled company as a souvenir.The bowl alone he keeps."Never again shall this cup,polluted by the lips of misfortune,be used by man." He speaks,and breaks the vessel into fragments.


やがて主人が室内へ入ってくる。めいめいが順次に茶を供せられ、めいめいが順次に黙々と彼の碗を飲み干し、いちばん最後に主人が飲む。正規の作法にしたがって、正客が、いま、茶器を拝見する許可を懇望する。利休はあの掛物と共に、さまざまな器物を客の前に置く。一同がそれらの器物の美に対する讃歎の情を漏らし終わると、利休はそれらを一つずつ一座の一人一人に形見として贈る。茶碗だけは自分が取っておく。「不幸な人間の唇で汚されたこの碗は、ふたたび人が使用するようなことがあってはならない」彼はそういう。そうしてその容器を、こなごなに砕く。

唯一登場する、禅の作法のなかでの「破壊」の場面。この、「唯一」である流れも含めて、とてもグッサリきます。「執着」からの解放のための行の行く末に、「執着」によって殺された。生への執着を問われた後の解の描写として、ものすごくせつなく、やるせない一場面です。


禅の章の後は、正直そんなに盛り上がれないかも。と思っていたところからどんどん引き込まれて読み終えました。岡倉氏による本編はここまでになります。次回は最後に15代・千宗室氏による「跋文」の章からいくつかご紹介したいと思います。

茶の本 (講談社バイリンガル・ブックス)
岡倉 天心 千 宗室
講談社インターナショナル
売り上げランキング: 15239
おすすめ度の平均: 5.0
5茶の本』は、茶の本ではない
5 Anyone for tea?
5 お茶の魅力と格調高い英文
5 これは、この人しか書けない・・・
5 日本における「生の術」 決定版!