うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

茶の本 岡倉天心 著(茶の流派 The Schools of Tea)

講談社バイリンガル・ブックスという、開いて左は日本語、右は英語で印刷されている対訳本です。英語タイトルは「The Book of Tea」。カサカサの、ペーパーバックというやつです。うちこはスタバでくれる紙バッグとの区別がつかない程度の英語力なのですが、要するに、カサカサってことね!
この本は、近所に住むお友達ユキちゃんの家の本棚から、いつものように「おまかせで適当によろしく」みたいな感じで借りてきた本袋のなかにありました。初めて英語の本が混ざっていて、「ホヨヨ?」と思いつつ、後回しにしていました。

うちこは28歳くらいの頃に英語をちょこっと習っていた時期はありましたが、その後すっかり忘れて、ヨギになってからは必要に迫られての実践英語のみ。体の動かし方だけはわりと流暢に話せますが、他は超適当にルー大柴な感じです。勢いですべて乗り切ってます(笑)。
が、インドで現地の人たちと交わす「なんだか妙に哲学的なニュアンスが出てくる日常会話」をしている間、古くからの教えの話をするときに使う辞書って、運動の話や日常会話のそれとはだいぶ違うな、と感じていました。相手は「君はインディアン・フィロソフィについて、よく勉強しているねぇ」とかいってノリノリでフィロソフィーな英語(そのときなぜか頭の中にはソフィー・マルソーの顔が…)をかなりの巻き舌で繰り出してくるのですが、「あーなんだっけこれ。なんかの本で出てきたな」とか思いはじめるとリズムについていけなくなるので、「念力」で聞いて、「運動神経」で話す、みたいな感じだったんです。

日本に戻ってまた通勤読書生活が始まったのですが、ふと袋を開けてみて、「これだわぁ」と。
この本は、数回に分けます。なんだか自分でも慣れない感じなので。当然英語と日本語、両方書きます。ピックアップの基準ですが、わりと「日本語の訳を見る前にざっくり雰囲気がつかめた」ところや、「岡倉さん、海外に向けてエエ話してくれてるわぁ」と思ったところです。
最終的に何回に分けるかはなりゆきですが(今も読んでいるので)、今日はひとまず「第二章 茶の流派/The Schools of Tea」から2箇所、紹介します。

<68ページ>
The tea-ideal of the Sungs differed from the Tangs even as their notion of life differed. They sought to actualise what their predecessors tried to symbolise.
To the Neo-Confucian mind the cosmic law was not reflected in the phenomental world,but the phenomental world was the cosmic law itself. AEons were but moments ── Nirvanaalways within grasps. The Taoist conception that immortality lay in the eternalchange permeated all their moded of thought. It was the process, not the deed, which was interesting. It was the completing, not the completion, which was really vital. Man came thus at once face to face with nature.
A new meaning grew into the art of life.


 宋人の茶の理想は唐人のそれとは異なっていた。それは両者の人生観が異なっていたのと同断であった。宋人は彼等の先人(すなわち唐人)が象徴化しようと試みたものを、現実化しようと力(つと)めた。新儒教の心にとっては、宇宙の法則が現象世界に反映されるのでなく、現象世界が宇宙の法則そのものなのだった。永劫といえども瞬間にすぎなかった。 ── 涅槃(ニルヴァナ)はつねに掌握のうちにあった。不死は永遠の変化のなかに存するという道家の考えが、彼等の思考のあらゆる方法に滲みこんでいった。おもしろいのは過程であって事実ではないのだった。真に肝要なのは完成することであって完成ではなかった。ここに至って人は一挙に自然(造花)と直面することになった。このあたらしい意義は成長して生の術となった。

「It was the completing, not the completion.(真に肝要なのは完成することであって完成ではなかった)」うーん、実にバカボン的な英語。完成「すること」について、話しているのだー。


<72ページ>
Japan,which followed closely on the footsteps of Chinese civilisation,has known the tea in all its three stages. As early as the year 729 we read of the Emperor Shomu giving tea to onehundred monks at his palace in Nara. The leaves were probably imported by our ambassadors to the Tang Court and prepared in the way then in fashion. In 801 the monk Saicho brought back some seeds and planted them in Yeisan. Many tea-gardens are heard of in the succeeding centuries,as well as the delight of the aristocracy and priesthood in the beverage. The Sung tea reached us in 1191with the return of Yeisaizenji, who went there to study the southern Zen school.The new seeds which he carried home were successfully planted inthree places,one of which,the Uji district near Kioto,bears still the name of producing the best tea in the world.


 中国文明の足跡をきちんと追って来た日本は、その三つの段階のすべてにおける茶を知っている。紀元729年という早い時期に、聖武天皇がその奈良の皇居において100人の僧侶に茶を賜ったことをわれわれは読む。茶の葉はおそらく唐の宮廷へ派遣されたわが方の使節遣唐使)たちの手で輸入され、その当時の流行の仕方で点(た)てられたのであった。801年には僧最澄が若干の種子を携え帰って、これを叡山に移植した。幾多の茶園がこれにつぐ幾世紀のあいだに知られているし、当時の貴族や僧侶たちが喜んで飲料したことも知られている。宋代の茶は1191年に栄西禅師の帰朝とともにわが国へもたらされた。禅師は南方の禅の宗派を研修するために彼の土へ渡った人である。彼が伝来した新種は3個所に移植されたが、いずれも成功した。そのうちの一つである京都に近い宇治地方は、いまなお世界で最良の茶の産地たるの名声を保持している。

興味があったり少しだけ知っている話だと、いきなり英語でもちょっとわくわくしながら眼で追うことができるので、「これなら楽しく英文とつきあえそう」と、このあたりから感じ始めました。「Emperor Shomu」「Saicho」あたりで。あとこの本、よく「monk」が出てくるので読めるのかも(笑)。


今日は、ほんのさわりだけ。次の章はmonkがいっぱい出てきて、こってりです。不定期でぼちぼち紹介していきますね。

▼この本は、全4回に分けて感想を書きました。ほかの3つはこちら
道家と禅 Taoism and Zennism
「茶室」「花」「茶の宗匠」
跋文(ばつぶん)15代・千宗室氏

茶の本 (講談社バイリンガル・ブックス)
岡倉 天心 千 宗室
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5茶の本』は、茶の本ではない
5 Anyone for tea?
5 お茶の魅力と格調高い英文
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