うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

肩と頚椎への負荷、集中力、コンディションのこと

肩と頚椎への負荷、集中力、コンディシ
個人的にショックの大きかったニュースについて触れますが、あまりそのことをきっかけに読まれることを望まないので、件名や文章中の表現が奥歯に物が挟まったような文章になるかもしれませんが、今日はご容赦ください。
昨日道場でユッキーに肩立ちのポーズの写真を撮ってもらったので、昨日の日記にはポーズについて書こうと思っていたのですが、なんだかこのポーズについてとても書く気になれないようなニュースが流れたのが、昨夜の8時45分。さて、書くかなと思ったときのことでした。

NOAH(および全日本後期の人の)プロレスについては、ずっと複雑な気持ちで見ていました。厳密には、ここ4年くらいは、以前のようには無邪気に見られなくなっていました。物理的に放映が少なくなったり、テレビを見なくなったこともあるけれど、「とにかくこれらのポーズについては慎重に」というメッセージをこめて、毎回同じ注意をお決まりのように口にする師匠のことば

 ・絶対に横を見ない
 ・足をバタンと下ろさない
 ・首を動かさない

これを指導を受ける際に毎度毎度言われ、自分が人を見る場合は必ず言うようにとされる生活になってから、それを「見て楽しむ」ことがとっても複雑な思いになっていました。
師匠はインド人なので、ヨガを教えてくれるときの言葉が至極シンプル。解剖学的なことは、その言葉をヒントに実践と合わせて学ぶ。


「このポーズは注意を守らないと怪我しやすい。首の後ろには身体をコントロールする大事なものがいっぱいある。だから、いつも気をつけて」

今日の写真にはそれらの注意点を持つポーズを使用したのですが、このポーズに限らず、ポーズについてはいつも書くときに少し気になっていることがあります。アクロバティックな部分への興味から読まれる場面のこと。
身体が柔らかくなったと感じられる頃は特に、その喜びとアクロバティックな要素への興味がとても近いところにあることが、自分の経験上、わかるんですね。実際、危ないなぁと思う取り組みに出くわすこともある。もう、気持ちがそちらへ向かっちゃっている状態の人というのは、言っても聞こえていない。(自己評価基準値が高い場合や、覇権欲でヨガをされた場合はもう、手に負えない。記事は男性について書いていますが、女性もです)


注意点を忘れずに行なえる集中力と、最低限必要なコンディションがある状態で行なうこと。


負荷は毎日受け、回復して刻まれる年輪のようなもの。十分なトレーニングを積んでいて経験があっても、自分の体重は毎日変わる。集中力と気持ちは、刹那に変わる。インドの教えの一部では、指をパチンひとはじきする間の1/65というくらい微細な単位で変化しているほどに、細かに「隙」が入り込む余地が存在します。(これは諸説あるので、あくまでそうともいわれるほど、という時間単位の引用です。参考:Wikipedia


身体を使うビジネスは、いっぱいありますね。プロレスについて、「まったく意味がわからない」という人の気持ち、よくわかります。今日、道場で会ったヨガ友のユッキーが「ルールがボクシングのようによくわかるわけでもないし・・・」というのが、すごくよくわかる。
うちこはたまたま、プロレスが身近な環境で幼少時代を過ごしました。地元の長岡市はプロレス興行の多いところで、だいたい電柱にいつもポスターがありました。上越新幹線が開通する前、母が働いていた深夜営業のレストランに、デストロイヤーさんなどのプロレスラーさんが来店されていて、母から「いい人たち」と刷り込まれて育った。マスクの怖い人に(たぶん、妖怪に見えていたと思う)あやされて、泣いていた。


熱狂的に見るとかではないのだけど、「長州藤波のいつもやってるのを今週も見る」「テレビでやっていればチャンネルを変えない」「話題のカードは見たい」「ジュニアの試合だけは追いたい」などなど、見かたやスタンスは自分の興味の流れで見ていて、ヨガを始める前に「怖い落とし方」に見入っている時期がありました。
「身体の使い方のタブーをビジネスにしているリスク範囲」といったらそれまでかもしれないけれど、それが流れとして一つのレスリング・スタイル、ビジネスのスタイルとして存在するようになった背景、亡くなった人がその頂点にいた人であったこととかはとってもせつないし、見かたによっては「不況」「マスメディアのありかた」「武士道的精神論」「差別化しながら共存する、いまの日本の格闘技スタイルの現状」など、いろいろな視点で思うことは、きりがない。


人は、身体を自然の一部として与えられている、宇宙の中の物質の一つ、というのがヨーガの近くにあるインド哲学の思想で、身体をコントロールする「こと」のなかに教えがある。身体をコントロールして「見せる」ことがビジネスになったとき、当たり前なのだけど、リスクがある。日本人は、宗教観が薄い上に、おもてなし精神が高い。
とてもつらい背景のなかで、身体を使ってビジネスをしている人は、世界中にいっぱいいるのだと思う。ただでさえ、経営が難しくなっている会社で、べらぼうなプレッシャーを抱える社長さんには、頚椎に負荷のかかる鋤や肩立ちのポーズは、「集中力が高まるポーズ」として注意深く慎重に行なってもらいたいもの。いくら経験とトレーニングという土台の上に、「絶対に大丈夫な"イメージ"」「それが存在理由のような場面」があったとしても、難易度が高いのがわかっているからこそ、最低限必要な集中力をもってやれる状況がなければ、やっぱり悲しい。事故がなかったとしても、悲しい。