写経仲間でヨガ仲間のピロエちゃんが貸してくれました。この著者さんの本は、以前職場の人が貸してくれた「怪談徒然草」というのを読んだことがあります。
11人の著名人との対談集です。全般とても朗らかな対談で、どの人も世間では不思議と思われることと共存して生活している人たち。それぞれの「心霊づきあい」のスタイルのお話といった感じです。
うちこは「なんか仕組まれたようだなこれ」と思うことはあっても、特に深追いしたりしません。すぐなにか別のことをしている(笑)。金縛りは、いくつかタイプがあるので自分なりに身体の状態を反芻したりします。ポーズのバランスを見るのと同じような感じ。明らかに成長期と大人になってからは違う感覚なのだけど、ヨガで身体の中が変わったせいかも、と思ったり。
実家(新潟県)で暮らしていた頃には、UFOを何度か見ましたが、家族に言っても「あらぁ、北朝鮮のミサイル実験かしら」というような環境で、「げー。あの山に落ちたら展望台がなくなっちゃうじゃん」と思って終わり、みたいな子供生活でした。なので、「そんなのありえない」とは全く思わなけれど、「見たけど、とりたてて考えたところで、なんかあるんだっけ? 再現できないし」というスタンスで、今もずっとそのままです。放置ですね。
この本のおわりに
人間を細胞単位にまで解剖・分解してみても、魂の在り処はわからない。心の作用も見えはしない。この世もあの世も同じだろう。
だったら、人ひとりを尊重するように、この世界をまるごと受け容れて、楽しく交流したほうがいい。
とあります。この本に出てくる人の中には、交流する人も、眺める人も、無視する人も、追い払う人もいる。いくつか、紹介します。
<61ページ 立原透耶 氏との対談より>
立原:お坊さんが言うには、すごく執着するようなタイプの人には執着するものが来るけど、私のように執着しない人には、入れ替わり立ち替わり来るけど、あまり悪くはないと言われて。
鏡みたいですね。
<83ページ 飯田譲治 氏との対談より>
飯田:昔は怖かったけど、今は怖いよりむかつくことが多いですね。なぜ俺に起こるんだろうって思って。
加門:何がですか?
飯田:自分の人生において、なぜ、そういうことが起きるんだろうとね。たとえば、ネガティブのかたまりみたいな人がいて、その人と触れ合わなきゃいけないとすると、なんで、俺はその人を呼び寄せたのかな。なんか理由があるよなとか思うわけです。俺がそれを体験するのはどうしてなんだろうって。
ネガティブが固まった「生きた人」と「霊」を比べたら、霊のほうがいいかも、と思うくらい疲れてます最近(笑)。
<176ページ 竹内海南江 氏との対談より>
竹内:いるのはわかるんですよ。でも、いるけど、見なかったことにしとこうとか(笑)、あまり触らないようにしようとか。あとは、直接、姿として見えるわけじゃないんだけど、エネルギー体とかを感じたときには、そのままの状態にしておいてあげるとか。
世界ふしぎ発見のお姉さんです。この人のスタンス、共感。
<200ページ 大森亮尚 氏との対談より>
加門:井上内親王をお参りしたときに、不思議な蝶々が出てきたとか。
大森:そうなんです。本の原稿を書き上げて、もう一度お参りをしておこうと思って井上内親王の陵墓に出かけましたら、青く透き通るような羽をした蝶、あとで調べたらオオミズアオという蛾だったのですが、それが二匹重なり合うようにまっていました。実は、井上内親王には、一緒に死んだ息子のほかに、もうひとり、娘がいたんです。それが酒人内親王で、この方は伊勢斎宮で、のちに桓武天皇の夫人になったのですが、この方の七十歳の節目のときに、空海がその遺言を代筆しているんです。その中に、体が衰えていく中で、夢で胡蝶になって飛んでいくというような表現があって。それを思い出して、私はちょっと体が震えるような思いをしましたね。もしかして、親子で出てこられたのかなと思いました。
蝶々って確かに、話しかけるようにルンルンついてくる感じがしますね。
心霊って、漢字で書くとどうしても心霊写真の心霊のイメージになってしまうけれど、どっちかというと気圧とか電波のようなイメージなんだよなぁ。機械さわりすぎなのかなぁ。