うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「私はうつ」と言いたがる人たち 香山リカ 著

そういえば以前ブックオフでこの本を買っていたのでした。先日感想を書いた「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」と同著者さんの本です。
挑発的なタイトルであり、「うつ」と言いたい人には絶対に出版されてほしくない内容の本なんでしょうね。「うつ」と言いたい人の近くで苦しんでいる人や人事担当の人には、「待ってました」という本でしょう。
この本の中で何度か「うつ病セレブ」「うつ病難民」という言葉が出てくるのですが、「うつ病セレブ」というのは、それを理由に休職ができる職場環境にいる人のことで、後者はそんな診断をされたら仕事を失うことになってしまう人のことだそうです。


うちこは道場でも、一定の確率で「うつなのかな?」と思う人に会う。
どんなポーズは控えめにやるように手本を見せればよいのかを知るために、鞭打ちやギックリ、骨折などのケガの経歴をお聞きするのですが、なぜか初対面でいきなり「いま、休職しながら心療内科に通っています」と言ってくる人がいたりします。「んーと、で、ケガは? ぎっくり腰とかでも教えてください」「ないです」「ないんかい!」みたいな(笑)。そんなことはわざわざおっしゃっていただかなくても、最初の呼吸の時点でこちらはうすうすわかります。前半が終わった頃には、それが「見栄っぱりタイプ」なのか「お姫様願望タイプ」なのかの傾向まで見える。
逆に、癌を克服してきた人なんかは、「過去に癌の手術をしましたが、お医者さんにヨガはやってもいいって言われてたので、今日やって来ました!」と「そこんとこは気にしないでくれ」というアピールをされます。最後に「別の意味で死ぬかと思いましたよガハハ。しんどかったけど、楽しかった!」と言い残して帰られる方もいるというのに、このギャップはなんなのか。


なにごとも本人しだいなので、「そうですか。まぁ、身体を動かせば気分もスッキリしますから、やればわかりますよ」としか言いようがなく、そしてヨガをする段階でない人(=ヨガを心身の健康以外の目的に利用できないかと思って来ている、いきなり実践を飛び越えてスピリチュアルな個性獲得を求めてくる人。もしくはただの暇つぶし)にはやはり関わってほしくないという気持ちになります。ヨガは実践哲学なので。


前置きが長くなってしまいましたが、今回もいくつかメモを紹介します。とくに一番最後の「おわりに」がよいです。

<25ページ 一億総うつ病化の時代 より>
 企業でも「うつ病」の診断書を"水戸黄門の印籠"のように差し出して長期休職に入る社員がふえていると、メンタルヘルスセミナーの講師を引き受けるたびに、経営者や人事担当の人たちから相談される。これからは精神科医にも、「あなたはストレス性障害でも、うつ病でも、解離性障害でもありません。自分でやったことの責任は、自分できちんと取りましょう」と告げなければならない場面がふえてくるのではないだろうか。

"水戸黄門の印籠"。ふむ。

<86ページ うつ病が自分の大切なアイデンティティに より>
 拒食症の少女が陥りがちと言われた、かつての「治療恐怖」のさらに背景にあるのは「平凡恐怖」だ、と説いた精神医学の論文をかつて読んだことがある。つまり、この少女たちは個性的でありたいと願うあまりに、個性的でいられるなら病気でもいい、と拒食症を選ぶわけだ。
 もちろん彼女たちにとって、さらに望ましいのは「歌手になる」「小説家になる」といった個性の手に入れ方であるが、それが容易でないのは言うまでもない。そうなれないなら、「どこにでもいるふつうの健康な人」でいるよりむしろ「拒食症で病院に行きつづけなければならない、かわいそうな人」でいるほうがよい、と無意識のなかで考えるのだ。

堀ちえみとか松本伊代とかが出てたドラマの見すぎなんじゃないかと思うんですよ。うちこも全部見たけど!(笑)

<140ページ うつ病といわれて喜ぶ人はうつ病じゃない より>
 休むことをすすめる前に、「診断書があれば休める、って人事が言ってました」などと自分から言う人、「キャンプにテニスくらいなら行ってもいいですか?」と休み中の活動についてあれこれ尋ねてくる人には、精神科医はその場で安易に診断書を出してはいけないのではないだろうか。

うちこの友人が、知人の「あちこちに行って、どこでもわたしはお姫様♪」な休職生活を綴るブログ更新っぷりにぐったりしていたのを思い出す。

<177ページ 異動希望をかなえるうつ病の"無意識的利用" より>
 たとえとしてはよくないかもしれないが、恋人から別れを告げられた女性が、「私、もう生きていたくない」などと口走り、恋人があわてて「結婚するから、そんなこと言わないで」と応じる、というパターンにも似ている。

(と遠慮がちにたとえとしてはよくないかもと書かれつつ、実際にそういう人がいたそうで)

<179ページ 別れ話から一転、うつ病で結婚を承諾させた女性 より>
 私は「それはおめでとうございます」と言いながら、「別れたがっていた彼に、うつ病だから結婚してあげる、みたいに言われて虚しくないのだろうか」とふと思ったが、嬉しさで輝く彼女の顔を見ると、「まあ、いわゆる"結果オーライ"というやつか」と、その気持ちも薄れた。

男子諸君、気をつけなはれー。

<194ページ おわりに より>
 親子の悩み、恋愛の悩み、社会に対する悩み、そして生や死、存在の悩み。人生に悩みはつきもののはずだが、いまの人たちはそれらにじっくり向き合い、葛藤し煩悶し、文学や哲学、宗教、人生の先輩などに答えを求めようとしてさまよう、といったことがとても苦手だ。
 それよりも「あ、これってうつ病かも。つまり、脳の中のセロトニン不足ね」と考えてSSRIを飲んだり、短期の認知行動療法のプログラムに参加したりするほうが、よほど効率的だし、おかしな言い方だが"気がラク"だ。悩みは内面から生じるが、病気だとすればそれは"外から降ってきた"と考えられるからだ。それに、「存在について悩んでいます」と言えば「勝手にしてよ」と冷たいまわりの人たちも、「うつ病だって医者から言われました」と言ったとたん、「病気と闘ってるの? 応援してるよ」とやさしくしてくれる。
(中略)
 もちろん、ほんとうに必要な人が気軽に精神医療を受けられることがいちばん重要なのは、言うまでもない。ただ、私たちの世界を深みのある豊かなものにするためには、時間をかけて悩み、苦しみ、答えを出そうともがき苦しむことも必要なのではないだろうか。「私ってうつ病だから」とだれもが安易に口にして、薬を飲んだり長期休職したりすることが人間の進歩だとは、とても思えないのである。

前半は、うちこですらやっと最近「セロトニン」のこと知ったのに! と思いました。
後半は、本当にそうであるなと思います。人間の進歩に対する警告として書かれた本ということなんですね。そのための挑発的なタイトルということであれば、納得。

「私はうつ」と言いたがる人たち (PHP新書)
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4 善意の制度には穴がある
2 この手の本の使い方
3 鑑別診断!
1 結論があまりにもお粗末
4 「うつ」とは物理的には見えにくいものだから…