うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

眼がよくなる本―ヨガの秘法であなたの近視も必ず治る 沖正弘 著

眼がよくなる本―ヨガの秘法であなたの
沖正弘さんの本はこれで4冊目。(参考:過去の3冊「ヨガの喜び」「ヨガ行法と哲学―人間を改造する」「ヨガ叢書〈第3巻〉人間をつくる」)
わたしは右が近視、左が乱視+近視で、どちらも裸眼では0.1ありません。ド近眼というやつなのですが、日中の太陽光の下にいるときはけっこう見えたりするので、公園などは裸眼でふらふらしたりもします。
近視が進んでいったのは、大学入試に向けて静物デッサンや石膏デッサンを始めた高校2年生後半くらいと記憶していますが、それ以前から、部活で日没後にひどくボール(ソフトボール部でした)が見えにくいというのを感じ始めていたと思います。それでも、感覚でノックとか受けていたのが恐ろしい。

目は、日や場所よってよく見えるときとそうでないときがあるなぁとは前から思っていて、さっきのソフトボールのようにある程度感覚が目に近い役割を果たしたりするので、ずっと興味がありました。
2006年の日記に書きましたが、角膜潰瘍をやっていた間に裸眼でヨガをしていて、そのときの感覚の違いや発見が面白いなと思ったので、今でも月に2回くらい、裸眼でヨガをしています。
昨日もそうだったのですが、眼がよく見えない状態だとより体内の感覚に頼ることになり、集中力がそこに注がれるので、汗の量などほとんど覚えていないくらいでした。

仕事柄なかなか実践はできないのですが、アーサナのひとつひとつに取り入れようと思うヒントがいっぱいありました。
今日も、いくつか引用紹介します。

<183ページ 視力を強めるものと弱めるもの より>
病に対するいっさいの治療法は、自然治癒力を引き出して、この生命の自然な働きが働きやすい条件をつくりだすために行われるものでなければなりません。ヨガで「悟ることで救われる」と教えているのはこの意味です。
たとえば、メガネをかけるということは、よく見えない症状をつくりだした病的原因をそのままにして、器具で視力を補助することですから、メガネをかけることは視力障害の原因を除くことでもなければ、自然に治る力をひきだすことでもなく、むしろ、その逆のいき方です。
メガネを安易にかけるのは、視力低下を不治のものと誤って決めてかかっているからで、この常識的な迷信が自然治癒能力の働きを妨害しているわけです。
さらに私たちにとって大切なことは、視力は眼の機械的な働きだけによるものではなくて、体の他の部分とも深くかかわり合っており、また、心との共同作業でよく見えたり、見えなかったりするという真実の自覚です。

心との共同作業は、先にも書いた「慣れによる"できる"前提の感覚」みたいなのも該当するのかもしれませんね。自然治癒については、本当にそう思います。沖先生は「メガネはかけたりはずしたりしていい」とおっしゃっています。

<85ページ 目に手を当て、首肩をもむ より>
人間の体には、生体電流が流れています。眼が疲れたら無意識に両手を眼にあてるのは、手に流れている体の中の電位差で、刺激して直そうとする自然回復力の本能的なあらわれです。しかし眼をもんではいけません。しずかに手をあててそのあたたかみを感じながら心身をリラックスさせて下さい。このときしずかに呼吸しているとさらに効果があります。もむのは眼のまわりの骨、こめかみ、首、肩です。

以前自分のやりかたで行っている「阿息観的プラーナヤーマ瞑想」について書いたのですが、そのときに感じていたこととまったく同じで、呼吸とともにリラックスした後、法界定印、金剛合掌で暖めた手を顔に当てると、疲れがほぐされる感じがします。自然回復力の本能的なあらわれだったんですね。

<90ページ ヨガ食をとる より>
ヨガでは、ヨガの理念であるバランスを根本とした食事の方法があります。その基本は、次のとおりです。
一、生食
  生で食べられるものは、できるだけ生で食べる。
二、全体食
  動物ならば、骨・内臓・皮・肉部、野菜ならば、葉・茎・根など、食物の全身を一緒に食べること。つまり、一個の統一体としての成分のバランスを万遍なく摂取することになります。よく肉食が問題になるのは、骨や内臓を除外した部分食になりやすいからです。
三、乾燥食
  魚の干物、するめ、かつぶし、干椎茸、切干大根など。天日で乾燥させたものは、ミネラル、ビタミンがよく保存され、効率よく吸収される状態になり、優秀な食品といえます。

肉食の問題が全体食にある、というのは以前も読んだのですが、なるほどな、と思います。お正月に材料を食べきるために、お雑煮を何度も食べ続けていたのですが、お雑煮やなますは、ヨガ的によいメニューではないかと思います。日本の古い慣習には、自然からの学びが多く残っているようです。


そのほか、アーサナとの組み合わせで、図解ページから自分のヨガに取り入れたいと思った目線ポイントのメモ。

 ●正座から寝るポーズから起きてくるときに、目の玉を上に。
 ●弓のポーズのときに、眼を大きく開いて、一点を凝視する。
 ●ヒコーキのポーズの胸の上げ下げと目玉の上げ下げを連動させる。

これ、最近意識してやっています。


この本を読んでから、アーサナ中の目線にすごく気を使うようになりました。アシュタンガではドリスティが明確に定められていますが、アシュタンガの場合は背骨や首の後ろの自然な可動のさせ方と強く連携しているように感じます。きっと、目への影響も逆引きで背骨や首から発生しているのではないかと思います。
沖先生の本は、こんなふうにとにかくおもしろい。ちょっとスリ・ユクテスワさん的なものを感じます。