うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「気」で観る人体 ― 経絡とツボのネットワーク 池上正治 著

これはブックオフで見つけて買いました。
ヨーガの「気」は背骨の流れに沿っているように感じるのですが、中国の「気」はいろいろなラインがあるのですね。しかも、「え? ここで右折してこっちいくの?」という複雑な流れも多い。とても勉強になりましたが、複雑すぎて覚えられません。
ここを押すとああなりまっせ、こうなりまっせ、という本ではなく、「こうゆうふうに繋がった経路があり…」という流れでの説明で、「環七は高円寺から板橋につながり、ラーメン屋がいっぱいあります…」というような感覚で読みました。
外から押せるツボだけでなく、押せないところにある体の奥深くのツボのことも初めて知りましたが、このツボといわれているところは、アーサナで感じることがあるポイントと重なるところが多そう。

いくつか、メモしたいと思ったところを紹介します。

<20ページ 先天の「気」について より>
元気(ユワンチー/原気ともいう)とは、原初の生命エネルギーであり、父母から受け継いだものである。この元気は生命の誕生と成長、そして活動の源ともなるべきエネルギーである。新しい世代からすれば、この遺伝的エネルギーは先天的に形成されるものであって、「先天の気」とよばれる。

<21ページ 後天の「気」について より>
「後天の気」は、「先天の気」にたいしていう。それは人間として誕生した後、毎日の生活のなかから得られるエネルギーのことである。水分や穀物が生命にとって欠かせないものであることから、「水穀の気」とよぶこともある。「後天の気」は「先天の気」と異なり、年齢とともに減少するのではなく、日常の生活のなかで補給することができる。

ヨガの呼吸やチャクラの刺激は、前者・後者、どっちだろう。


<136ページ 排尿の適正を確保するために より>
余談になるが、ちかごろ尿療法が静かな話題となっている。オシッコを飲むことが、健康に役立つというのである。砂漠で道に迷ったり、船が難破した極限状態では、生命をながらえるために、それも必要なことであろう。
ただ、尿には一定の有毒物質もふくまれており、尿療法の価値はこれから各方面で検証されることになるだろう。だが、尿にはある種の「魔力」があるらしく、時として嗜好の対象になることがあった。
一遍(1239〜89)は鎌倉時代の有名な僧侶であり、諸国を遊行したことで知られる。その生涯を描いた『一遍上人絵伝』(13世紀)には、争って一遍の尿を求める人々の姿が描かれている。

すごい話ですね。


<192ページ 胆に属して、胆の募穴となる より>
漢字を発明した中国人は、漢字の解釈についてもまさに名人である。『素門』にあるように、胆は「中正の官」であり、決断を主(つかさ)どるのである。だとすれば、胆に最も求められることは、明の一字である。暗であってはならない。
その明という字を左右に分解すると、日と月になり、太陽と月を、すなわち宇宙を知りつくしているということになる。日月はまさにそうした重要なツボなのである。

ハタヨーガの、「ハ」が太陽、「タ」が月を意味するのとまったく一緒ですね。


<215ページ 爪の状態は健康度のバロメーター より>
「爪は筋の余り」ともいう。「髪は血の余り」だった。これは中医学の独特の見解である。西洋医学ならば、爪を、手足の指の先端をおおう硬質皮膜で、爪床から生じ、毛や皮膚の外層と同様、ケラチンとよばれる角状物質によって形成される、と定義する。
中医学では、爪は筋(腱)と同様、肝からの栄養にたよっており、肝気にコントロールされていると考える。肝の機能が正常で、よく筋を主(つかさ)どれば、筋力は壮健であり、爪も弾力に富んで堅く、物をしっかりとつかむことができる。

わたしは長い距離をマラソンをすると足の爪の状態が悪くなるときがあるのですが、こうゆう時、イスのポーズでうまく身体をコントロールできません。爪も筋の一部なんだなぁ。なるほど。



もともと「気」とかぜんぜん興味がなかったのですが、ヨガと双子のような感じですね。ことあるごとに繋がるし、いつも隣にいるような。実体験的には、身体の中のツボのほうを刺激している感じがします。


「気」で観る人体―経絡とツボのネットワーク (講談社現代新書)
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