うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヨーガ大全―身体と精神の開眼 スワミ・ヴィシュヌデヴァナンダ 著

美しいポーズが満載。冒頭の「推薦のことば」は、沖正弘氏です。
哲学、浄化、アーサナ、食事、真理、プラーナヤーマ、あますところなく偏りのない解説。ページ総数439ページの中から、いくつか心にメモしたいと思った箇所を引用紹介します。

<52ページ トラタク(凝視訓練)より>
トラタクは特定の点や対象をまばたきせずにじっと見つめる訓練である。これは六つの浄化法の一つであはるが、主に精神集中力を養う目的を持つ。ハタヨガ、ジュナナヨガ、バクティヨガおよびラジャヨガを学ぶ者にはとても有益である。また視力を回復するのにも良い。

でもやるとけっこうしんどい。



<66ページ ナウリ・クリヤ(腹筋の操作)>
腹部には二つのタイプがあるのは面白い。一つは、脂肪のあるなしにかかわらず腹筋が非常にしまっている場合である。このタイプの人は筋肉が落ちるまで、この訓練がとても難しい。どちらかというと柔らかい筋肉の第二タイプの人は短時間に習得できる。

ヒクソン氏は後者なんだろうなぁ。



<71ページ ヨガと体育 より>
ヨガ行法とふつうの体育の基本的相違は、体育が筋肉の激しい運動を強調するのに対し、ヨガ行法は、筋繊維に多量の乳酸をつくり疲労をもたらすような激しい筋肉運動を否定する。乳酸や、それらがもたらす疲労の影響は、酸素の吸収と同じく筋繊維中のアルカリによって中和される。

わたしは激しい運動を今はしていませんが、ヨガの伸ばされた疲労感と、長距離走疲労感を比べても、その違いを感じます。長距離走でも、ヨガ的な走りというのがあると思っていて、目下研究中。



<133ページ 頸部の行法 ハラ・アサン(スキのポーズ)より>
ヨガを実習すれば、青年の弾力性を保ち、骨内のミネラルの異常な沈着をのぞくだけでなく、失われた若さをかなり取り戻すことができる。さらに体の弾力性は、血管と脊椎の状態にかかっている。動脈や静脈内の灰分のように、血液中の不純物による沈殿物の漸増が、その部分の、弾力性を失わせる。これら沈殿物の蓄積が速ければ速いほど、老化は急速に我々をみまうのである。

鋤のポーズについて以前書きましたが、通称が「若返りのポーズ」と呼ばれているくらい。普段腰の付け根に沈着しているなにかが膝の後ろを通過していく感じは、確かに沈殿物を動かしている感じがします。



<198ページ パダンドグシュタ・アサナ(つま先のポーズ)より>
この訓練は、足が窮屈な靴で圧迫されるために起こる、足首やつま先の筋肉疲労にとても良い。偏平足の人にもこの訓練が有効である。

このポーズも、以前「つま先立ちのポーズ」として紹介しました。つま先の、足指の付け根を思いっきり開くこのポーズは、普段の生活では伸びない領域までパックリ開くので、この気持ちよさは格別。キープできるとかできないとかではなく、普段ではありえないところを開いている状況を楽しんだらいいと思います。



<230ページ サヴァ・アサン(リラクセーション)より>
心身の活動を調整しバランスをとるためには、体内でつくられるエネルギーを節約することを学ぶ必要がある。それがくつろぎ方を学ぶ主目的だからである。
ここで心に留めておくべきことは、われわれの体は一日を通して、常に翌日に必要なあらゆる物質とエネルギーを生産しているということである。しかし、これらのあらゆる物質とエネルギーは、悪い気分、怒り、傷心そして興奮が一定の強度に達すると二、三分のうちに消費されてしまう。実際、たった一回の突発的激怒があらゆる人間のエネルギーを破壊することもありうるのである。
このような激しい感情の突発や抑圧は、しばしば習慣化し、その結果は身体ばかりでなく心にとってもきわめて悲惨である。
実際、くつろいでいるときには、エネルギー、プラナは消費されない。少量が肉体を正常に保つため循環しつづけ、残りは貯蔵され保持されるのである。

毎日いろいろありますが、怒りエネルギーの扱いは永遠の課題。



<239ページ 自然食 より>
肉食者は肉体的に活力を呈するが、菜食者の持久力を持ちあわせていない。菜食者は最も苦しい状況でも疲れず長時間働くことができるが、肉食者は短時間だけ多量の仕事ができても、すぐに弱まり空腹になるのである。

0.1トン超えの知人が、まさにこの状態。対極にいるわりには、気が合うなぁ(笑)。



<247ページ 自然食 より>
長距離の歩行は疲労をもたらし、ヨガを学ぶ者が集中と慈善に使用すべき多量のエネルギーを消費してしまう。

道場のお友だちとも話しましたが、うちの師匠もこれは口酸っぱく言います。なので、マラソンしてるって言えない(笑)。



<268ページ プラナヤマ(ヨガの呼吸法)より>
ある人の話は聞く者の心にしみじみ透るのに、一方では、うまくしゃべっているのに何ら心が動かされない話があるという事実は誰でもが知っている。前者では話にプラナが充たされており、後者は単に知的なだけなのである。

なんでしょうね。ありますね、こうゆう状況。「伝道力」って、これかな。



<288ページ アヌロマ・ヴィロマ・プラナヤマ(交互呼吸法)より>
すべてのヨガの弟子に大切で、出発となる訓練はアヌロマ・ヴィロマ・プラナヤマとして知られる交互呼吸法である。(中略)手のひらを鼻孔に近づけてみれば簡単に分かることだが、鼻孔のひとつはいつも部分的に閉ざされており、肺への呼吸の流入、流出は主に片方の鼻孔だけを通じて行われている。普通の健康状態では、およそ一時間五十分ごとに呼吸は交代する。(中略)大多数の人の場合、このひとつの鼻孔からもう一方の鼻孔への呼吸交代は、不自然な生活習慣、誤った食事、病気、運動不足のような条件によって大きく異なる。

手のひらよりも、指先の方がよりわかりやすいです。やってみてびっくり。ネティを習慣にしてから、体調が安定しているのはこのせいかも。



<292ページ アヌロマ・ヴィロマ・プラナヤマ(交互呼吸法)より>
鼻孔を閉じるのに人差し指を使ってはいけない。人差し指から出る磁気流が汚れるからである。

こんな理由があったのですね。知らなかった。



<320ページ 心の潜在意識層 より>
ヒマラヤのリシケシにある神智学会の創始者であるH・H・スワミ・シバナンダは、その著『神秘的な心』の中で次のように述べている。
(中略)
感情を刺激する何か新しい扇情的事件を聞くのが好きな人たちがいるが、彼らは感情を食べて生きており、そうしないとまったく退屈になるのである。これは大きな弱点である。

わたしは噂話が苦手です。「苦手」と思ってしまう時点で修行が足りないことは自覚しておりますが、これを避ける技術は、OLとして日々必須のトレーニング。



<370ページ 存在、認識、そして至福なる自己 より>
自己は肉体を超越しているが、肉体は幸、不幸を経験するための場であり、五要素から出来ており、過去の行為の結果として与えられるのである。自己はまたアストラル体を超えている。アストラル体は自己の第二の乗り物にすぎない。さらに、自己はコーザル体を超えている。コーザル体は、その身体を魂とまちがえる、発端のない漠然とした幻覚の産物である。コーザル体、すなわち種体はアストラル体と肉体の原因になっており、自己の第三の乗り物にすぎないのである。

アストラル体、コーザル体のことがいつまでたってもよくわからないわたしですが、この「乗り物」という表現は非常にしっくりいく気がします。



本当に良書だと思ったので、ほんの一部ですがいまメモしたかったことを記録してみました。

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