図書館で借りて読みました。ヴィパッサナー瞑想については、Wikiの解説に便利なリンクも添えて記載されています。
もっと小難しい深層のことが書かれているのかと思いきや、とっても親しみやすい内容です。小学生の時に聞いたようなブッダの言葉やエピソードとともに、Q&Aと講義が展開します。
訳者あとがきにも、「ヴィパッサナーはブッダの瞑想法をそのままの形でつたえるもの」という記載があります。欧米でも行じられている「ヴィパッサナー瞑想」ですが、日本人だからこそ、すんなりしっくり親しめる要素が多いと思います。
今日も、いくつかピックアップして紹介します。
<50ページ 苦の直接原因 Q&A より>
運動をすると体力がつくように、瞑想は心を鍛えます。いわゆる「自由な、自然な行動」は、実際には盲目的反応であり、有害です。冷静に自分を観察することができるようになれば、困難な状況に遭遇しても心がぐらつかなくなります。心のバランスがとれて思い通りの行動ができる。ほんとうの行動がとれるのです。そういう行動はいつも前向きで、自分のためにも、人のためにもなります。
ほんとうの行動…。考えさせられますね。
<70ページ 問題の根 Q&A より>
必要なものは努力して手に入れる。もし手に入らなければ、ほほえんでまた別の方法でやってみたらいいのです。うまくいけばそのことを喜び、ただし執着はしない。そういうことです。
別の方法にきりかえる。負担がひろがるまえに。
<141ページ 知恵の訓練 Q&A より>
人生は行動のためにあります。瞑想をすることで消極的になるというのは間違いです。ただ、行動をするときにも心のバランスは失わない、ということなのです。
この本には何度も「心のバランス」ということばが出てきます。
<149ページ 気づきと心の平静さ より>
ゆがんだ知覚は、ほんらい中立である感覚を瞬時にして心地よいものとわるいものに分ける。そして、その感覚に対してもまた反応し、新たな条件づけを行う。その条件づけが、さらに知覚をゆがめる。このようにして、一つ一つの反応が将来の反応の原因となる。すべての反応が過去にしばられ、こんどは未来をしばるのである。
「ほんらいの中立」が、「心のバランス」ということなのでしょう。「ほんらいの中立」といわれた方が、より近く感じます。
<151ページ 気づきと心の平静さ より>
実際は自分のなかの感覚に反応しているのに、自分のそとの現実を相手にしているようなつもりでいる。しかも、感覚は知覚によって条件づけられ、反応によってゆがめられているのだから始末がわるい。(中略)古い条件づけがあるかぎり、苦から完全に自由になることはできないのである。
身近なところでは、「そもそもその仕事を愛していないから、理論が成り立つようでちっとも成り立っていない」「人の印象を更新しない、成長を認めない」この二点で先に進めない人に気づいて欲しいけど、瞑想はしないだろうなぁ。
座っていながら「笑顔がミッション」の受付業務やカスタマーケアの方は、通勤中に読むと救われると思います。
佐々井秀嶺さんも、タイでこの瞑想をされていたそうです。
ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法 | |
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