うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ヨガ行法と哲学―人間を改造する 沖正弘 著

沖正弘さんの本はこれが2冊目。(参考:一冊目「ヨガの喜び」)図書館の蔵書をひっぱりだしていただきました。

さてこの本、初版は昭和35年。その後昭和47年に13版が発行されています。わたしが生まれた頃の1000円は、今のいくらくらいに相当するのか調べてみたら、封書20円、はがき10円、東京の営団地下鉄運賃最低区間30円から40円に値上げ、といった頃だそうなので、1/4かな。なので、この本は当時4000円くらいの本だったということでしょう。
この本、内容が「ヨガの知恵・特盛り」くらいの量で、手元に置きたくなりましたが、だったら他の本を読もうかな、と。
前半はヨガ哲学的なこと、中盤はアーサナ(この本では「アサン」と記述)、後半は食生活と病気について書かれています。最後には、著者がまさにフラワームーブメントの時代にアメリカへ渡った頃のエピソードも。つきまとうなぁ、この時代・・・。

今回はたくさんメモを残したので、先に引用メモの目次つけますね。これでも、本当にほんのほんの一部です。

 ・60、61ページ 釈迦は瞑想行法で悟った より
 ・66ページ 自己を支配する本体をつかめ より
 ・69ページ 繰り返す練習───習慣は無意識をつくる より
 ・127ページ 正見と正思正行 より
 ・159ページ 修正体操とその効用 生命本来の力を喚起する より
 ・230ページ 目と耳と鼻の病気をなおす体操 より
 ・303ページ 機械と違う生命体 より
 ・307ページ 食物の種類と栄養 より
 ・322ページ 玄米食の効用 より
 ・328ページ 食事の注意 より
 ・369ページ 症状別の治し方の例 より「風邪」「いびき」「疲労」のみ抜粋


<60ページ 釈迦は瞑想行法で悟った より>
恐怖するのは、悪あり、損あり、敵ありと対立するからで、物事の真実を見る明がないからである。

簡潔。


<61ページ 釈迦は瞑想行法で悟った より>
ヨギは神と自他が一つであると自覚しているから、すべての責任を自己に求めて、救いを他に求める心が生れない。(中略)来るまま、去るままに悠々自適、生死を忘れて生死し、損得から離れた仕事三昧にひたっている。かれらの心は常にバランスを保っているので静中に動機を失わず、動中に静境を保もち、すべてを神意と受取っているからどんな立場におかれても、それは善くなる前提であると感謝して受け入れて心静かに全力をあげて精進することができる。

わたしはまだまだ修行が足りないなぁ、と思います。


<66ページ 自己を支配する本体をつかめ より>
心を動かすものは何か、胸中を去来する利害損得、好き嫌い、成るか成らぬかという対立する観念が心を動かすのである。例えば、ここでやれば勝てるとか、売れるとか、チャンスだとか、だめらしいとか、ここでやれば認められるとか、ここで失敗すれば駄目になってしまうとか、叱られたら困るとか、ありとあらゆる対立観念が無意識のうちに去来している。

(中略)

こうしてみると、自己を支配する本体、自己を害する本体は自己の中にあるということを知るのである。

組織の中でこれにとらわれている人が読むとよいですね。


<69ページ 繰り返す練習───習慣は無意識をつくる より>
ヨガでは、無願、無計、無跡の心構えでやれと教えているが、その意味は、こうしようかああしようかなどとはからうな、こうすれば損だとか得だとかと打算にひっかかるな、勝つためにやるとか認められたいためにやるとかと成否にとらわれるな、ということである。

以前イチローについて書いたことがありますが、「同じ所作を繰り返すからこそ、"今"の自分が見える」とヨガをしながらいつも思います。


<127ページ 正見と正思正行 より>
正しく生きるために必要なことは正見に基く正思正行である。
正見は恐れると分からなくなり、好き嫌いすると偏り、気にするとひっかかって(執着)してしまう。
正見するためには先ず迷信と誤見を除かなければならない。

(中略)

誤見についていえば、たとえば胃を長く患っている人があるとする。そうするとこの人は自分を胃弱と思い込んでいる(信念)。そうしてそのように自分を扱っている、そうして養生と称して、その胃弱を維持するにふさわしい心身の扱い方をしているのである。そうすると胃はいつまでも弱い状態を続けざるを得ないのである。

このあたりからの健康理論、非常に興味深いです。


<159ページ 修正体操とその効用 生命本来の力を喚起する より>
修正体操の中には、有意識的体操と無意識体操があり無意識体操の中には随意筋体操と不随意筋体操がある。
随意筋体操は自分でわかる自分の偏りを、随意筋を使ってなおす方法である。不随意筋体操は偏りを修正しなかったために、偏りが体型体癖となって、それが体の働きを歪ませる習慣的働きとなり、感受性と適応性を偏らせる傾向を生じ、これが原因となって作り出された内部の異常、行動と感情の異常を修正するのが目的である。

わたしは相変わらず趣味のほうは偏っているのですが、体のほうはだいぶ癖がとれてきたように思います。行動と感情の異常もだいぶ減ってきたかな…。無意識にシールは集めてしまうけど。


<230ページ 目と耳と鼻の病気をなおす体操 より>
肩甲骨の高低の不揃いは乱視、近視、老眼、難聴、蓄膿の因となり、胸椎の異常はそれに関連した内臓の病因となる。

視力と肩甲骨を関連づけて観察したことがなかったな。


<303ページ 機械と違う生命体 より>
人間の消耗するエネルギーのカロリーを計算し、必要なカロリーを食物によって補充するために、食物の成分が保有するカロリーを計算し、それだけのカロリーを保有する食物を摂ることが必要だと説いているのが、現在の栄養学であり、常識のように考えられる。

(中略)

殊に人間の生体は前編で述べたように、食物からエネルギーを吸収するのみでなく、呼吸によってまた胎息によって、空気中から、また光線から、水中から、土中からプラナと称する驚くべき絶大なるエネルギーを吸収することができるのであって、食物のみに依存しているのではないことを知らなければならない。

太陽の下で食欲を奪われるのは、もうおなかいっぱいってことなのかも。胸がいっぱいで食欲がなくなる恋愛(もう思い出せないけど!)も、プラーナでしょうか。


<307ページ 食物の種類と栄養 より>
ヨガではカルシウムの多い食物を保護食または長寿食としている。マグネシウムが多いと硬化萎縮の老化現象を呈するものである。またナトリウムは炭酸ガスを体外へ排出する役割をなし、カリウムが多過ぎると体内の酸化現象を妨害するのである。野菜にはマグネシウムカリウムが多い。これを人体に過剰にせぬためには塩で調理すればよいわけである。特に日本は地質的にカルシウムが不足しているから、この補給を小魚、牛乳、海藻などでとるように考えなければならない。
生命の働きは適応性の働きであるから、栄養の豊富なものばかり食していると、栄養の少ないものでは堪えられない体ができ上がり、その反対に栄養の少ないものを小食している人には、どんなものからでも栄養を吸収できる強い体となり…(中略)あまやかしたり、庇ったりすればするほど弱化退歩してしまうものである。

ふうむ。これも反省材料あり。反省しながら、今まさに手元にある「らっきょう」がやめられない。


<310ページ 自然食と完全食 より>
ヨギは多く植物食を摂るが、特に好んで自然食の濃い食品を摂る。これは色素は生命機能と深い関係があるからで、人体色素で重要なものは血の色色素、皮膚のメラニン色素、便色の胆汁色素などであって、植物の緑色は葉緑素でビタミンKを多く含み、人参の赤黄色はビタミンAの役割をなし、黄色色素はビタミンB2である。
ヨギは原則として乳、乳製品と卵の他は動物性蛋白質を摂らないが、どうしても肉食しなければならない時は新鮮な生肉の全体食をするのである。

新鮮な生肉かぁ。苦手だなぁ。


<322ページ 玄米食の効用 より>
玄米にはビタミンB1が白米の四〜五倍あり、白米のB1は炊き上げると全部消失してしまうが、玄米は八十%残っている。また脂肪も白米の四倍もある。ビタミンB1澱粉質を消化吸収してカロリーにするために必要なものであって、これが不足すると体の回転が鈍くなり、老化の原因となる。B1のない白米を食べることは不足成分をいれることになり、副食物を多くとらねばならぬことになる。B1が不足すると神経が麻痺し、また酵素の働きを妨げる。脳神経にはビタミンB1類は最も必要な栄養素で、これが不足すると狂人になることがある。またB1が欠乏すると女性ホルモンにも影響して早く皺が出て来る。玄米には血や神経のバランスをとる燐(リン)もあり、造血作用に必要なマンガンや鉄、ビタミンEやAも含んでいる。玄米やゴマには類脂体が多く、無機質と共に中毒緩和の働きがあり、また白米にない繊維質があって便秘を防ぎ健康を求める人の必ずとるべきは玄米である。

(その続き)

快便は人体の健康に絶対必要なことで、ヨガではナディスと称し、一日一回必ず布を口より入れ飲み下して胃腸の掃除をする。呼吸法を通じて自律神経と不随意筋器官を自己把握しているので自由に意識的に排便、排尿することができ、腹圧を高め、迷走神経の働きをコントロールしているので分泌液の分泌がよく、内臓の働きも盛んである。

先日、同僚からランチの時に鼻うがいについて質問されたので、ナディスの話をしたらドン引かれた。


<328ページ 食事の注意 より>
われわれは食物に味をつけるよりも味を噛み出す努力をしなければならない。そして食事をするときは心たのしく、よく噛み、注意を集中し、姿勢を正しくしなければならない。調味料のほとんどは窒素剤で、これを用いると良質の鉱物質を失ってしまい、肝臓をそこね、胃腸障害を起す。殊に糖質はよく噛まないと味が出ない。人間にだけ虫歯の多い原因は酸性食の過食、大食の偏り、軟食、また繊維と鉱物質の不足、噛み方の不足によるのである。

よく噛んで食べなくちゃ。酸性食にも注意しよう。


<369ページ 症状別の治し方の例 より「風邪」「いびき」「疲労」のみ抜粋>
この章は保存版!な内容だったのですが、「風邪」「いびき」「疲労」だけメモを残すことにしました。
■風邪
風邪は寒さの為にひくのではない。風邪をひきやすい人は、栄養に偏りがあり(主にビタミンB、C、塩分、カルシウム等不足)たべすぎの傾向を持っており、この為に全身が硬化していて重たい感じである。特に背中の上部および胸部に疲れが残っており、手足が充分にのびない。背骨もちぢんでいる。これらのこわばりをとればよい。
風邪ひきは、体のゆるめ、過食停止の要求である。発酵すると筋肉がゆるんでくる。風邪薬は発酵剤だ。(中略)胸椎三番目の骨がこって胸が萎縮していればセキを出し、五番目の骨の所と手が硬化していれば鼻水を出す。足の裏が硬くなっているとノドがはれる。重心が偏って五番目から七番目までがこっていると食慾がなくなったり、異常食慾がおこったりする。体の捻れている者や、蛋白毒のあるものは、節々が痛む。熱が出るのは、過剰栄養を除き、筋肉をゆるめるとよい。栄養にならぬ物を腹一杯たべるか、断食して(その人の傾向によりちがう)発酵する方法と、こった所をゆるめる体操をすると治る。

過剰栄養…。ふむ。


■いびき
首が固すぎるか、ゆるみすぎるかである。太っている人のは固すぎるし、老人や酒をのんだ後はゆるんでいるのだ。この人は過食で体がねじれている。ねじれを直し、手足の運動をすればよい。

別のところに、座っているときに左の膝が出る人はいびきをかく、と書いてあり、ドッキリするくらい該当しておりまして。肩甲骨の偏りも関係しているそうです。


疲労
疲労とは、エネルギーの需要、供給が円滑をかいている状態である。しかし、疲労疲労感とだるいのは内容がちがうことを知らなくてはならない。疲労感は部分的硬化である。(中略)体の上手な使い方は、全身を平等に使うことだ。部分的に使うとすぐにまいってしまう。又、それが固着すると、寝てもゆるまなくなり、解剖学上の病因ともなる。
だるいのは、エネルギーの余りである。これで休むと益々あまり、そのまま硬化する。多くの病人はこれが多い。運動後、体がスーッとしたり、強刺戟に快感を覚えるのは、エネルギーが余りすぎている証拠である。この余りのエネルギーを煩悶の方に使っているのがノイローゼである。

毎日余ったエネルギーをヨガで発散してぐっすり寝る、というのが一日の理想的な流れなのですが、だいたい食物から栄養摂りすぎですからね。余らせないようにしなくちゃ。



今回は食事といびきについてたくさん書かれていたのが何よりも興味深かったです。ここまで読む人はもう買っちゃったほうがいいかも。


沖正弘先生の関連書籍はこちらにまとめてあります。