うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インターネット的 糸井重里 著

2001年の本なのですが、コミュニケーションのありかたや情報発信のありかたについて書かれているので、今でもすべてがとても「ウンウン」とうならずにいられない内容ばかりでした。
むしろ、どこもかしこも「ソーシャル化」という言葉が叫ばれている今が、まさに読みどきな本という気がします。激しくうなずいたところをいくつかピックアップします。

<31ページ「情報はたくさん出した人のところに集まる」より>
シェアの法則は、ヨガなどの呼吸法に似ています。先に息を大きく吐き出すからこそ、新鮮な空気をいっぱいに吸える、というようなことかもしれません。

いきなりたとえにヨガが出てきてびっくりしたのですが、まさにその通りで、付け加えていいのならば、「吐ききることによって自然に入ってきちゃう」というのがヨガの呼吸ですが、これだけ個人の情報発信が増えている今の状況は、さらにヨガ的な気がします。
こんなふうに、本質の点を全然関係ないところですんなり結び付けてくれるたとえが、さすがと思います。

<136ページ「多様な人格が点滅する」より>
テレビ番組などの企画会議で「F・1層(若い女性視聴者という分類)の掘り起こしを重点的にしてですね」などと語られているのも、やっぱりもう、ヘンなことですし。女性のためのインターネット・サイトを考えるときに、「ファッション・グルメ・エンターテインメント・キャリア」なんてコンテンツを並び立てることも、ヘンでしょう。

ほんとうにヘンですね。その瞬間「乙女チックな気分のモノが欲しい」などの瞬間に、その場所があればいい。私に合わせてポータルサイトを作ったら、メインのタブが「ヨガ的」「アキバ的」「マドンナ的」「さだまさし的」「仏教的」ということになってしまって、なにがなんだかわからないことになってしまいます(笑)。
正しくは「世代性別に関係なく、こんな気分になっちゃったときに来て楽しんでもらえる場所」と企画書にかかれなければいけないですね。

<182ページ「そのまえにナニが欲しいのか?」より>
(各種サービス課金やコマースなど、ネット上での集金方法の未来論に浮かれているそのときの世の中のムードに対して)
このたとえは、眉をひそめる人もいるかもしれませんが、愛情も欲望もあいまいなままに医療用のバイアグラを使って意味なくポテンシャルを高めているオヤジって、いまの時代をよく表しているような気がしませんか。

ほんとうまいこと言うなぁ、と。
ちょっと前に職場の人と話したのですが、非常にコミュニケーションのしかたがマズい会議に同席し、後でその状況のマズさについてありのままを伝えたら「経歴書も自己紹介もなしに"結婚しますもんね"って言ってお見合いに来られたような気分なのね」といわれたのですが、目的を明確にして人と協力していく作業って、やっぱり愛情と欲望が明確でないと無理なのですよ。

<220ページ「消費のクリエイティブを育ちにくくさせているもの」>
よくインターネットの掲示板が疲弊していくのは、ダメな例を軸にしてその場を誉めているうちに、袋小路に入り込んでしまう場合が多いからだと思います。ホームランを見た瞬間に、他のホームランを打たなかった選手について語るようなことは、ふつうしないものです。心からホームランの気持ちよさを感じるだけでも、消費のクリエイティブは働いています。
いいと思ったものを、他と比べないで誉める練習というのをやってみるというのは、どうでしょう。

これは、職場でも道場でもほんとうによく思います。誰かのなにかの動作や考えの一瞬だけでも、いいとおもったら誉めたらいいし、誉められたほうも、その部分だけを素直に受け取って喜べばいい。躍って欲しいのに、「でもこれができませんでしたから」なんて理屈がうっとうしいことがある(笑)。これって日本人の特性なのでしょうか。


これは本当にほんの一部で、このほかにも「日々感じているんだけど、うまく言えなかったあんなことやこんなこと」がいっぱいです。
名コピーライターが、これだけ柔軟に「出し惜しみしようがない」というメディアの本質を見抜いて、未来を楽しもうとしている本が2001年に書かれていたことに、とにかく脱帽です。