うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

狂気という隣人 精神科医の現場報告 岩波明 著


壮絶な精神医療の現状が語られている一冊。依存症治療の病院で家族向けの勉強会に参加したときにいろいろと思うところがあって、この本を読みました。
わたしと同世代であろう女性精神科医の講義、質問者への回答、そして医師が人間として持つ正直な感情を垣間見て、「自分も含めて誰にでもある心のある種(たね)」や「心のはたらき、法則のようなもの」をすごくリアルに感じました。いま目の前にある「自然の創造物」としての「心のはたらき」についての話を聞くのはけっこうしんどかったけど、それでもやっぱり、「いまそこにあること」であることは変わらない。

<はじめに より>
精神が不安になったとき、周囲の人たちが共謀して自分を罠にかけているように感じたことはありませんか?
そんなばかなことはあるはずないとわかっていても、通りすがりの人々から悪意の視線を浴びせられた気がした経験はないでしょうか?
冬の静かな雨音が、脅迫者の奏でるメロディーに聞こえたことはないでしょうか?

(中略)

 精神病、あるいは精神分裂病がいかに身近なものであるか、それは本書を読んで頂ければ理解してもらえることと思います。精神病は私たちの精神と異質な存在ではなく、常に私たちのスキゾフレニックな「心」と「脳」の中に、その重要な一部として存在しているのです。

必要のない関連付けをしないこと、というのは「人間の制感技術としてとても高度なもの」とわたしはとらえています。
よくない感じ方や関連付け方は人どうしの信頼度やタイミングのギャップが生み出すものなのかわからないけど、意識の接点には「純粋な好意」「損得勘定のうえにある好意」「実は悪意」のグラデーションがあって、そこをグレーなまま、用が済んだら忘れられる状態が「健康」であり「健常」であり「強さ」であり、瞑想などで賢者たちが得ようと求めた「静寂」ではないかと思っています。
まえによしもとばななさんが「イルカ」という小説でこの感じを「ブラックマジック」という言葉を使って表現されていて、たぶんこういう感覚は精神の中にたしかにあって、だからコミュニケーションはむずかしい、と感じます。


<124ページ「幻聴と殺人」より>
 幻聴は患者の脳の中の症状ですが、通常、聞こえている本人は、外部から音声が入力されているという感覚を持っています。ここで問題となることは、脳という自己の内部で起こっている出来事が、自己に所属していると認識できないことです。これを認知心理学的には「自己モニタリングの障害」と呼びます。
 人間の脳においては、思考などの高次脳機能も含めた「随意運動」に関して、自らが起こそうとする行動をあらかじめ脳の他の各部位に伝達する機能があります。この現象を、「随伴発射」と呼びます。たとえば自己の声を発する時、随伴発射の作用により、発語する以前に、事前にそのことが脳の聴覚野に伝達され、その結果自分の声と外界からの音声の区別が行なわれます。精神分裂病においては、このような随伴発射による自己認識のシステムに障害があるという仮設が提唱されています。すなわち、自分の声を他人のものと認識してしまうのです。

ヨーガの練習の要素としてある「内部なんだ、内部なんだ」「これは内部と外部の接触点で起きていることなんだ」というように認識する練習の重要性について、考え方が変わりました。インド人は「自己モニタリングの練習」を開発していたんだな。



この本は社会の問題として司法と医療の密接な協力の重要性を問う主旨で貫かれていて、考えることの多い一冊でした。

<210ページ「保安病棟」より>
 英国の触法精神障害者に関する保安システムは、わが国をはじめとして各国の手本となっているものですが、それに対する批判も少なくありません。すなわち、英国においてもいわゆる「人権派」からの批判があります。これは、特殊病院を中心とした保安システムを非人道的で、非人間的であると糾弾するものです。
 しかしこれとは逆に、保安システムをさらに強化しなければならないという主張も根強くあります。このあたりの状況は日本と同様といえます。ただ日本と異なるのは、こうした議論を表立ってすることがタブーとなっていない点です。

このあと、殺人の加害者への見かたについて、日本の事例と英国の事例の違いが書かれています。要約すると「加害者の家族をマスコミ、国務大臣までもが非難した日本」と「精神保健システムの欠陥」としてとらえる英国、の違いについて。

まえにイギリス人の友人と暮らしていた頃にアメリカで猟奇殺人があって、犯罪についてよく話した時期がありました。「システムを裁くのか」「人を裁くのか」という感覚でどういうことがある? という話をしました。「神の裁き」の感覚がうすい島国同士で話していたのだけど、イギリス人から見ると日本の「個人たたき・吊るし上げ文化」の現状は意外なのだそう。
それ以前に、猟奇殺人が普通にメディアで報道されてアイデアを与えまくっていること自体にびっくりされた。


<96ページ「スキゾフレニック・キラー」より>
私たちの周囲には、数多くのスキゾフレニック・キラー(精神分裂病の殺人者)が存在しています。彼らの多くは検挙されても不起訴となり、裁判で事実が明らかにされることもなく、精神病院に入院した後何年かすると再び社会の中に戻ってきているのです。

想像上だったことを事実として聞いてしまった感じ。


<109ページ「殺戮する脳髄」より>
 日本の裁判では、精神疾患患者は処罰しないことを原則にしています。しかし、しばしば司法機関は世論に迎合し、過去においても明らかな精神分裂病患者が死刑囚として処刑されたケースが存在しています。もし欧米のような特殊病棟ができれば、こういう事態も変化するかもしれません。
 果たして今後政府が本気で新しい保安施設を開設するかどうかは予測はできませんが、前節で述べたQさんのような患者に対しては、やはり専門的な特殊病棟が必要であると考えます。犯罪あるいは殺人の嗜癖者というべき患者は、必ず一定の割合で存在するからです。
(Qさんという、4人の殺人を犯した人の、うち最後は精神病棟内での殺人であったことが書かれています)

これに近い別の章の記述を続けて引用します。

<88ページ「スキゾフレニック・キラー」より>
 精神分裂病は重大な疾患ですが、ありふれた病気でもあります。現実に、世界のどの地域においても、全人口の一パーセント近くは精神分裂病を発症しています。この事実は、精神分裂病は、環境や文化などの社会的な要因よりも、生物学的要因によって規定されていることを示しています。離島や山間部の僻地においては精神分裂病の発生率が高い地域がありますが、これは血族結婚などにより遺伝的要因が集積した結果でしょう。

「いきものの種子と習性」と「人権」を両立して考えるのはむずかしい。精神世界と物質世界のことに見える。


<111ページ「殺戮する脳髄」より>
(1998年におきた連続少女誘拐殺人事件の犯人の精神鑑定について触れる箇所で)
 司法鑑定は、数名の医師が協力して診断をつけることが普通であるのに、再鑑定における結果が二つに分かれたことは異常な事態でした。さらにそれ以上の問題として、次のことがあげられます。すなわち、一人の症例に対して、社会的に権威のある大学病院精神科の専門家の意見がこのように大きく異なったことは、精神医学の無力さ、いかがわしさを公衆の面前にさらけ出す結果になったと言えます。
 このことは、精神医学にかかわるものの一人としては、とても残念なことでした。しかし、それがある面の真実を含んでいることも確かです。
精神医学は現在も未熟な医学です。精神医学は、病気のことも、脳のことも、自信を持って語れるものはごくわずかしか持っていないことを認める必要があります。

ここは、著者さんが医師としてすごく踏み込んで語っていると感じた箇所。
「専門家がいうんだから」「専門家をコメンテーターにお招きして」というのはメディアのなかでの思考誘導。こういうドーピング剤を使わず、自分で考える修練をできるだけしていかなくちゃと思う。


<150ページ「幻聴と殺人」より>
ドグラ・マグラ』は、狂気、あるいは狂気そのものに内在する美と力を描いた作品です。この小説については、さまざまな論者が雑多な評を表していますが、精神医学的には多くは見当違いなものです。江戸川乱歩の「狂人自身が書いた狂気の世界」、あるいは中井英夫の「人工の狂気によって人間を問い直した作品」といったあたりが、それほどずれていない指摘でしょう。

この本を読んで『ドグラ・マグラ』を読むのはしんどそうだと思った。
わたしは20代の頃に江戸川乱歩の本をたくさん読んでいたけれど、狂気の世界の記述に触れておくのは意外と大切なことかもしれないと思った。
今はメディアで狂気の結果が事件として切り出されていて、それについて語られることも多いけれど、「人間には深層にそういう種があるんだ」ということを感じながら認識するためには心を集中して向き合う読書がよい。それを感じてしっかり認識することで、「悪魔に心を明け渡さないための智慧」に本気で興味を持つことができるから。



啓示宗教の教えを見ていると「悪魔」と定義されるものがあって、怖れを認めて神に棚上げすることの大切さが根底にあるように思う。インドの場合はそれよりも科学的に宗教的儀式や修行に昇華されている。日本でも昔は「もののけ」と言っていたから、そういう認識がないわけではなかったはずなんだけど、いまはブームの域を出ない。
日本人の潔癖さが生むアンバランスについて、考えさせられる一冊でした。

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