うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ガンジーの実像 ロベール・ドリエージュ 著/今枝由郎 翻訳

ガンジーという人については、私自身もそうだったのですが、「世界史に出てくる偉人」というイメージの人が大多数かと思います。私が小学生の頃に大ヒットした映画を見た人も多いと思います。この1年でインドに関するさまざまな本を読み、この本を手に取ったのですが、少しインドの実情を見た上でこの本を読むと、ガンジーという人について「無条件に偉人」と思うことは浅はかであるかもしれない、と思いました。
まず、前提条件として「ガンジーはアウトカースト(不可触民)として生まれていません」「ヒンズー教にこだわる人でした」「非暴力の人であっても、非差別の人ではない」この点を知った上で、この偉人と呼ばれる人について理解することはとても重要。

<55ページ「アーシュラム(道場)」から引用>
アーシュラムでの生活は厳しく、祈りと手作業を二つの軸としていた。問題も出てきて、ガンジーが不可触民の夫婦を入れようとしたときに、深刻な事態となった。(中略)土地の所有者は、彼らが井戸に近づくことを禁止し、アーシュラムの支援者は、お金を出さなくなった。

不可触民の人々を「ハリジャン(神の子)」と呼んだガンジーですが、現実にはこのような問題にも直面しています。「井戸に近づくことを禁止」=不浄の者(いや、不浄の物、かもしれません)と扱うということです。この場面への対処について細かく書かれていないのが残念ですが、このアーシュラムは長く続くものではなかったそうです。

<72ページ「砂漠の横断」から引用>
次男のマニラル(当時三十五歳)がイスラム教徒と結婚しようとした。ガンジーは、ダルマ(宗教)に反しているという理由で、この結婚に猛反対した。この結婚はヒンドゥー教徒イスラム教徒の一致を台なしにするという不可解な論理で、自分の立場を正当化した。もしもマニラルが従わなければ、「インディアン・オピニオン」紙の社長の地位を失うことになると脅かした。青年は折れ、父の協力者の二十歳の娘と結婚した。

ここに、ヒンズー教へのこだわりがうかがえるのですが、彼が行ったことは、不可触民の人々を「ハリジャン(神の子)」と呼びながら、不可触民制度=カースト制度ヒンドゥー教を否定せず、あくまで不可触民をアウトカーストではなくインカーストまで引き上げるだけで、「末端階層として位置させることには変わりがない」という点が重要です。

<85ページ「不可触民のための闘い」より>
1933年のはじめ、ガンジーは「ハリジャン」という週刊誌を発行した。この不可触民のための十字軍は、ガンジーを裏切り者と見なす正統主義者の反対にあった。このはっきりしない温情主義的運動により隅に追いやられた不可触民の組織も、同様な態度だった。その後、数年の間に、ガンジーはハリジャン・セヴァク・サンガという、不可触民廃止のための組織を作ったが、そのなかには、不可触民は一人もいなかった。

ここの矛盾は先の項目の通り。

<154ページ「スキャンダラスな関係?」より>
晩年になって、彼の禁欲の誓いの守り方に、非難が寄せられた。周知の通り、彼は、絶えず献身的な若い女性に取り巻かれていた。彼は、彼女らを自分のベッドで寝させるのが習慣になり、彼を暖めるために、服を脱いで彼の裸体に身体をぴったり寄せ寝るよう要求した。ニルマル・クマル・ボーズという弟子が、この変わった習慣を暴露した。問いつめられたガンジーは、最初は、裸の女性を横にして眠るということを公然と否定し、その後、それはブラフマーチャリヤの実験であると言った。ポーズは、なんら精神性のない実験のために女性の身体を利用するのは、女性の軽蔑であると反論した。

真実はさておき、カリスマにありがちなスキャンダルですが、このボーズという人の指摘は最終行においてまっとうだと思います。


この本は、前半はガンジーの歴史、後半はその思想について書かれていますが、非常に分かりやすくジェネラルな視点でよい本だと思います。そのあとにすぐ「アンベードカルの生涯」という本を今も読んでいるのですが、アンベードカルという人はアウトカースト(不可触民)として生まれた人です。彼との対決は「ガンジーの実像」になかにも出てきます。根本的に、差別とヒンズー教が切り離せないものである以上、この二人の対決は防げないものであったのかも知れませんが、ガンジーがアンベードカルに対して行った「断食」の交渉はあるいみ「暴力」ではなかったかと思わずにいられません。その分野について深く考える人には意見したくなる感想かもしれませんが「自虐的な言動による暴力」というものは存在すると思うのです。もしインドを通して何かを学ぼうと思っている人がいたら、どんな本でもいいので「ガンジー」とセットで「アンベードカル」についても知ったほうがいい。
改革者としてガンジーを見れば、そのパフォーマンス手法において学ぶべきことがあるかもしれません。この本では「カリスマの陰と陽」を見ることができます。その矛盾こそが、彼の人間らしさ、と解釈することができるかもしれません。