うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

インタビュー。インター・ビューのインタービュー

先日、ヨガの練習を一緒にされているかたがインフルエンザから復活されたばかりだったので、練習の前にお話を聞かせてもらいました。

 

 

 これからあなたとインフルエンザの間で起きたことについてインタビューをさせてください。
 インタビューは、インター(間)・ビューです。

 

 

その間の出来事を、ちょっとビューにして。
インフルエンザという生き物と自分の身体間のありようについて、興味深くお話を聞かせてもらいました。自分の身体で経験していないことは、他の身体保持者にたずねるしかない。せっかく同じ言語を扱えるのだから、聞けるものなら雑談レベル以上のことを聞きたい。


インタビューについては、ある言葉を知ってから「なるほど他人の話をうかがうという事はこういうことか」と思うことがあって、たまに思い出します。
サンスクリット語に「サークシャットカーラ(sakshatkara)」という言葉があって、これには感覚の具現化や直接知覚という意味があります。英訳に「interview」と「realization」が出てくる。こういうインドっぽい英語というのかな、ただの「面接・面談」では片付かない感じがとても興味深くて。

 

いまのわたしの肉体と魂の組合せでの人生は一回。インフルエンザも、昔と今では対処方法がどんどん変わっていて、大人が予防接種をしたり、ほかにもいろいろな薬がある。
インタビューに応じてくださったかたは、直近のご自身の中にあった「失うものについての自覚」と「いずれ終わると信じて待つしかない」という感覚を振り返っておられたのですが、わたしもヨガをするようになってからディフェンス・メカニズムについて食べ方と排泄も含めて考えるようになったけれど、あとは信じて待つしかないんですよね。
この「信じる」というのもなかなか大変で、インフルエンザほどインフルエンス力のない(メジャーではない)あまり聞いたことのない状態になれば、信じて待つにしても恐怖の存在が大きい。


わたしはこれまで、なんでも症状に名前を付けて広めていくことについてあまりよいことと思っていなかったのですが、インフルエンザだってデビュー当時は人々にとって恐ろしく感 じられるものだったはず。多くの人が心の中で起こる「これは自分だけなのか? どういうマッチング?」と思うことに名前をつけて安心しようとすることもインフルエンザのようなものと思えば、ある意味それは精神的なディフェンス・プログラムを作る集団の知恵。


そして「信じる力」には他人の経験談がありがたい。「この肉体と魂の組合せで起きたこと」を言語化できるって、間接的に人助けになるんですよね。社交辞令でもあたりさわりのない会話でもない、そして社会的存在部分には踏み込まない、他ボディの心身のインタービューをシンプルに交換できるとき、わたしは有益な情報を得たと感じます。
ヨガの場はこういうコミュニケーションを可能にしやすく、風邪に限らず喉の調子や排便・放屁の話まで微細なレベルでできるところが大好きです。「ジャーランダラ・バンダが勝手に利きっぱなしになる」とか 「ムーラ・バンダがまったく利かなくなる」のひと言で済むって、すんごい便利。

 

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