うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ちいさな秘密が増えていくことの悲しみと喜び

日本で日本人らしいコミュニケーション作法で暮らしながら、先日ふとインドでヨガの勉強をしていた頃に学校の代表者の先生から「Super Silent」と言われたときのことを思い出しました。生活面で、ものすごくおとなしいと言われたことがありました。
先生はいろいろな国の生徒の相手をされていて、そのときは十数名がペアを組んで一部屋を使う共同生活。ルームシェアカップリングで小さなコンフリクトが起こることもありました。当時先生から「ちょっと来て」と言われ、共同生活のなかで一人になりたいと希望する人のところへ連れていかれたことがありました。そのとき先生はわたしを「彼女はスーパー・サイレントだけど、へんな人ってわけじゃない。彼女と同じ部屋ではどうか」と提案していました。まるで細貝さんに朱美ちゃんをお届けするかのよう。「へんな人ってわけじゃない」のところは「なにも考えていないわけじゃない」とか、そんなニュアンスであったと記憶しています。よく考えるとひどい言われようかもしれません。でもそのときは、おとなしいというだけで役に立ててうれしかったのを覚えています。


その学校の生徒のグループの中で、わたしのことを「closedだ」と揶揄する人と「ちがう、彼女は stable なんだ」とかばう人がいて「けんかをやめてぇ〜♪ ふたりをとめてぇ〜♪」とひとり脳内で歌ったこともありました。わたしをかばってくれた人は、わたしがあまり英語をスラスラ話せないことを鑑みてくれていたように思います。
あとあと知ったことですが、この小さな意見交換には理由がありました。わたしのルームメイトが休みの日にひとりで出かけるわたしの行動を訝しんでおり、そのことをこのふたりが聞いていたのでした。


わたしがいそいそと出かけていく先は、友人の運営するレストランでした。当時はわたしが休み時間の少ない生活をしていたので「この日、◯時に行きます」と連絡し、移動時間を差し引くと40分くらいしか滞在できない休み時間に待ち合わせのような形で店に入れてもらうことがありました。予約を受けない店に、やんわり予約をするような感じです。のんびりとした旅行者の集まる場所で、ひとりであくせくしていました。
ルームメイトと仲間たちに行動を伏せていたのは、「友人からこう聞いた」「わたしはあの人の友人だ」と言って同じサービスを求められたり人数が増えたら引率のようなことまでせねばならず面倒だと思ったからでした。イレギュラーなことは根っこの情報を発生させないほうが平穏だろうと考えたのでした。が、別の方向で問題が発生してしまいました。
このようなとき、あとになって「理由も含めてはじめからそう言ってくれればよかったのに」と言う人がいますが、実際はじめに言うと「考えすぎ」「わたしがそんなことをする人間だと思っているのですね、残念です」と言われる展開になることもあります。情報を伏せる理由まで想像して「そうだろうと思っていたよ」と言ってくれる人もいるけれど、それは自身もお店やなにかのサービスを運営したり、似た立場の経験を持つ人。そのときは一度疑われはじめたら逃げられない沼にはまった感じでした。


友人の店は旅人が多く訪れる場所にあり、友人はその土地を訪れる人の旅の思い出をよきものにするよう、日々がんばっています。自分の店のことだけを考えているわけではないことを知っているので、そのお店を紹介するときには気をつかいます。友情の両立はむずかしい。それでもその場を耕している友人の日々の真摯な取り組みを思えば、これは内緒にするやつだ、とすぐに判断できる。


このような性質の両立のむずかしさは他のことでも起ります。わたしは年々、ちいさな秘密が増えています。なにかを運営する友人知人が増え、かつての上司・部下・同僚、師・先輩・後輩・仲間であった人とも会話の性質が微妙に変化しています。連絡方法や会う場所に気をつかうこともあります。そうするほうがよいのだということを学んだ人間同士のやりとりには安心感があります。
それぞれがさまざまな経験を経て、許容域を超えた要求にかき回されたときにひとりで小さく発動させてきた「毅然」のバリエーション・孤独・葛藤・ノウハウ・アイデアを貯めて、相談相手になる。このような関係の醸成がここ三年くらいで少しずつ増えてきたと感じます。


そんなこともあり、わたしは年齢や経験を重ねることに対してポジティブな考えを持つようになりました。専門家の友人が増え、それぞれの人がそれぞれの場で知り得た法則のようなものを、ふたりきりのときにそっと教えてくれるからです。内省済みの直接経験知の交換。すばらしい時代を生きている、社会に参加させてもらえていると感じます。悲しみ以上に喜びが重い。種をまかなければ収穫できなかったこと。わたしもがんばろうと思う。そう思う回数が年々増えています。
夏目漱石の小説の時代の女性なら「女のお前には到底わからないことだ」といわれていたようなことを、実践しながら学ばせてもらえている。とてもありがたいことです。




これはインドでのわたし。学校の先生か仲間からもらった写真です。おでこに皺を寄せているのは、右の鼻の穴から左の鼻の穴へ、なかなか紐が通らないから。
鼻の穴の交友も人情の交友も、両立はむずかしいことがある! おでこに皺も寄る!